じゃないヒト

Meweの投稿のコメントに「~じゃないヒト」というのが出ていて、あぁ、なるほどと思ったんですね。

その投稿は、新幹線の4人席で、たまたま演劇をやっているヒトと相席になって、そのヒトたちが投稿者のことを全く無視して演劇のことを話している。このようなヒトたちはいつもお客のことを見ているんだろうか?ボクも会話に混ぜてほしかった。というもの。

それについたコメントでね、業界人ではないヒト、演劇をしていない素人のヒト、プロじゃないヒトという形で自分とお客さんを切り分けちゃう、レッテルを貼っちゃうのは嫌ですというのがあったんだよね。

あなたはプロなんだから、プロじゃないヒトに恥ずかしくないような演技をしなさいとかね。自分達とは違う、~じゃないヒトというのを意識することでヒトは優位に立つ、責任感を全うする。線引きをすることによって、自分というものを鼓舞するというのはあるからね。

ボクはなんでも分けたくないヒトなので、一人の中でマルチタスクにやっていった方が良いと思うんだよね。

12月から演劇をやろうとしてるけど、ボクらは演劇人ではないヒトというくくりで見られちゃう。そもそも演劇自体が収支という意味では終わっていて、従来の演劇は日本では浸透していない。でも演劇による、ヒトが誰かを演じる面白さというのはあって、そこの部分と、お客さんに満足してもらえるものを出すという両方をどうやって出すかを考えていかなきゃいけない。

かつての演劇のメソッドを否定するわけじゃないけど、数少ないリソース、才能、お金、時間をどこに選択、集中するのかはトップが決めるべきことで、それぞれのメソッドだけを信じて分類化してカテゴライズした中で優劣を競っても仕方ないよね。

~じゃないヒトはどこの分野にもいるし、自分を認めて欲しいと寂しがっていたりもする。そういうヒトをどうやって巻き込みながらものを作れるのかなって日々考えてます。

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