中庸について

極端なものにはヒトが集まります。
インパクトがあって、見たこともないものを作れれば噂となって、
みんながワーッと群がって、ギャーっとなる。

いまボクは、福岡と群馬に新しいカフェを作っているので、
どうやってヒトが集まるかを気にしたりします。
ビジネスだからヒトが集まらなければ、
継続できずに困ったりしますから。

なので、インパクトのあるものを考えますけど、
ほんとうに大事なことは、すべからく、「中庸」だと思っています。

たとえば。


ボクはアナログとデジタル、その中庸を目指したいんです。
人間はノイズがあって初めて心地よく感じるものです。
どんなものでも細分化して、ノイズを取り除いてしまっては味気ない。
中庸がどの程度か。ノイズを残す塩梅、それはセンスです。

ボクは具体と抽象、そこを行ったり来たりしたいんです。
スタッフの日々のつぶやきは、ごっそり具体ですから、
そのはなしはすべて理解したい。

「デシャップに置いてあるダスターが臭いけど、
あれ、匂いを消すために毎晩、酸素系漂白剤を少し入れて、
鍋で煮沸したらどうだろう」

なんてことを言います。
みんな、いやそれだったらどうの、とりあえずやってみるねなんて言います。
そのやり取りが楽しい。
それが「良い店を作る」、「安心できる職場にする」、
という抽象に繋がっていくんですから。

似たようなことにミクロとマクロがある。
ボクは前年同月の売上比較なんてしません。
毎年、あえて変化させ続けたいんですから、
いちいち前年と比較したって仕方ありません。
ただ、もっと細かい時間帯の売上なんかについては気にしたりします。
無駄なことを盲目的にやりたくないですから。
つねに鳥になったり、虫になったり、行き来したいんです。

ボクはMAMEHICOは、
物質的な側面と精神的な側面を融合させた場所にしたいと思っています。

平成になって、お金でお金を買う時代がきて、
汗水流して働くのは、負け組がすることだよ、なんていう風潮になって。
若いヒトが早いうちにファイヤーしたいとか、
つまらないこと、言い出したりしてますけど。

これ以上、物質的な拡大なんて、もう見込め無いわけでしょ。
だったら小さくても、質的なものにこだわったほうが面白い。

だからボクは日々のMAMEHICOの仕事には、精神性を持たせたい。
皿洗いひとつとっても、
こんなもんだろなんてやるのと、どうやったら上手く洗えるだろう
そう思ってやるのとでは、ぜんぜん違うんですから。

近いスタッフには、中庸であれといつも言っています。
塩梅については自分で考えろ、と言います。
そしたら、考えるヒトは考えるんですね。

切磋琢磨、精神性を高めていける場所が作れれば、
みじめに落ちぶれたりしないと思っています。
覚悟が決まれば自由ですから。

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