MAMEHICOのロゴにもなっている桐の花は12月の花札の柄で、藤の花は4月。
今度9月に群馬桐生にオープンするのは紫に香る邸宅と書いて紫香邸(しこうてい)というんだけどね。花札の桐と、紫の藤の花の柄は、ボクが小さい時に好きだったデザインでね。ボクにとって、ビビットな色使いの花札の影響は、とてもあるなと思うんだよね。
花札とトランプを比較したとき、トランプはキングやクイーン。要は階級社会を象徴しているわけ。これはヨーロッパ地域をよく表していると思う。価値感も違ういろんな民族のヒト達が集まって王国を作り、小さな国がひしめきあってるのがヨーロッパ。人間による支配階級がトランプに象徴されているんだよね。
ところが花札は日本の四季を表しているわけ。
1月~12月の月を綺麗に並べて、梅に鶯から猪鹿蝶まで並べている。さらによく見ると、3月は桜の下でお花見、8月は月の下で宴会、というように、自然の中の一部として表現されているんだよね。日本人はやっぱり、人間の世界というよりも生物の多種多様な自然環境の中のひとつとしてヒトを見ている。
今は、欧米の競争社会が日本に持ち込まれて、みんなで王様を目指す。それ以外はその他大勢である、という構造をみんなで目指している。
でも日本人が本来持っている価値観は、花札に象徴されるものだと思うんだよね。
牛乳、チーズ、ラーメン、ピザを食べて育った今の若い子達は花札なんてやらないし、外国の物に毒されているヒト達が価値観も大きく変えてしまっていると思いつつも、日本の気候風土は昔とはそれほど変わってないよね。
外界から持ち込まれている文化の中で自問自答して、いろんなものに毒されているのは今に限ったことじゃないわけで、自分の中にあるDNAと照らし合わせながら、取捨選択し、上手いこと取り込んでいくのが日本人、この国の特性だと思う。
だから、花札とトランプの両方で遊んでる子どもたちは、ひとつの日本人の面白いあり方じゃないかという気がします。