不便について

自分の生活を振り返ってみると、
たとえば、テレビを見ない、とか、
ゲームはやらない、漫画を読まない、とか。
スマホを持ち歩かない、だから電話はしない、とか。
カーナビに頼らない、パソコンに頼らない。
必要に応じ、紙に書き写したり、
プリントアウトしてそこに書き込んだり。
わかってほしいときは、なるべく絵を描いて説明したりする。

コンビニは極力いかない、ペットボトルは飲まない、顆粒のだしは使わない、
チューブのニンニクや生姜、わさびは使わないとか。

基本的にめんどくさがりでせっかちな性格なので、
便利や手軽は大好きです。

好きなんですけど、
ボクはあえて不便を選んでるというところがあります。

先だって、学生の頃から好きだった洋食屋さんでのはなし。
久々に行ってみたんですが、まぁ閑散としていまして、
往年の活気は失くなってました。

寂しい店内、ぽつりとしばらくメニューを待っていたら、
テーブルに置かれたタッチパネルで注文してくれと書いてある。
コロナで増えたスタイルですが、
なんとその店でも取り入れ始めたんですね。

仕方ないので、デミグラスハンバーグ、ドライカレーを頼みました。
しばらくして店員が黙ってそれらをテーブルに並べました。
そして、何言うでもなく、そのまま黙って厨房に戻って行ってしまった。

はいはい。
極力、誰とも喋るなという方針を貫いてるんでしょうかねぇ。
この店で起きている、いろんなことが想像できます。
少子高齢化?賃金圧迫?給料が上がらず物価が上がっていく危機?
街の空洞化?外食より中食?食の多様化?病気の老夫婦?コロナ恐怖症?
まぁ、よその店のことだから、どっちでもいんですけど。

荘子の「はねつるべの逸話」というのがあります。
古い中国。
孔子の弟子が、旅行の途中で水を汲むために井戸の中に入り、
せっせと桶で水を汲んでいる老人に出会った。
苦労のわりにちっとも仕事がはかどってない。
みかねた弟子は、切り通しの上から老人に声をかけた。

「おぉい、あのぅ。
水を汲むには、はねつるべって道具があります。
労力は最小、能率は飛躍的に上がるんです。
ご老人、ひとつ使ってみてはいかがでしょうか」

すると老人、ニコリと笑って、こう切り替えした。

「わたしの師匠の言葉なんですがね。
仕掛道具が作られると、ヒトは必ず『カラクリ心』が胸中に生じる。
『カラクリ心』が胸中に生じれば、
人間の純粋潔白な本来の心はなくなってしまう。
純粋潔白な心を失えば、霊妙な生の営みはかき乱され不安定となる。
不安定となれば、根源的な真理は、もはや彼の生活を支えなくなってしまう。

はねつるべなら、ワタシだって知っとるよぅ。
だがぁ、気恥ずかしくて、使う気になどなりゃせんのじゃぁ」

カラクリには、カラクリの意図とは別のカラクリが隠されている。
それに気づいたときには手遅れになってることが多い。
だったら最初から、カラクリに近づかないほうが得策だ、
そういう話です。

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