炭鉱のカナリヤ

炭鉱のカナリヤという言葉があってね。

昔は、山にトンネルを掘って石炭をとる時、地中からの有毒ガスで死んじゃうヒトもいたんだよ。その時にカナリヤを連れて行くと、人間が何も察知してない時、敏感に何かを察知したカナリヤがピーピー鳴く。探知機、センサーとして炭鉱のカナリヤというのがあったんだよね。

なんかあった時、周りはまだ何も察知してないけどピーチクパーク言うヒト。ボクは、そういうセンサー、炭鉱のカナリヤでいたいなと、若い頃思ったことがありました。

MAMEHICOというカフェを行きがかり上やることになって、お客さん、スタッフを通じて世間を見ると、時代と向き合わざるをえなくて、その時代の微妙な変化に、つい敏感になってしまいがちになる。お客さんの中には、警察官もいれば国家公務員もいて、何より若者がたくさん来る。その子達のなんとなく油断している生態をカフェの中では覗けるわけで、カフェの中から社会を見て、ああ、今、こういうことが起きてるんだと知ることが出来るんだよね。

みんな大人になると、社会に組み込まれて、自分の損得みたいなものの中でおかしいという気持ちを持ち得なくなるのかな。

カナリヤにはそういう忖度も、しがらみもないので、異変が起きたらピーチクパーチク言うというね。それはスピリチュアルなものでもなく、直観力とか大それたものでもなくて、普通に考えたら、それおかしくね?っていう普通のこと。

多くのヒトは時代の変化に関心がない。そういうものとは関係ない所で暮らしてるわけだよね。

ただ、それとは別にヒトの持っている喜怒哀楽や負の感情はあるわけで、そういうことに、あら?っと感じちゃう所がボクにはある。

なので、ボクが一貫して言うのは、変だと思ったらそれに従わないこと。

自分がそういうことに鈍感であれば、ボクなり、誰か信用できる人の言ってることを聞いて、それに従ってみるのは必要だよね。

これからいろいろ大変になる側面もあると思うけど、ボクは、相変わらず近いヒトにはピーチクパーチク言うカナリヤでいたいなと思ってます。

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