余白、そしてストーリー

余白というのは、とても大事だなと思います。

岡倉天心の茶の本で、余白について書かれた本があって、あらゆる芸術で余白は大事だと。日本の掛け軸も、その余白に意味を持たせるというのがあるよね。

余白に、見るものが想像力を働かせたりするわけで、その余白の部分をどんどん削っちゃだめだよね。

この間、寅さんの映画を見て感想をいろいろ言う、という会に参加したんだけどね。若いヒトの意見で、ストーリーがないのでよくわからなかったというのがあって、みんなやっぱりストーリーに注目するんだなと思った。

ボクもお芝居の脚本を書くことがあって、ストーリーを直せば直すほどストラクチャーをいじりたくなっちゃうけど、本来、お芝居、映画にしても、ストーリーよりもパッと見た光景、自然の美しさ、そこに漂う空気みたいなものを映しだしてお客さんに届けたい。これはつまり余白だよね。

昨日、浦安の小さな街の中にあるお寿司屋さんに行ったんだけどね、なんとも言えず良かった。決して高級店ではなく、チェーン店の回転寿司でもないんだけど、その呼吸、板前さんも何も語らない、こっちも何もしゃべらないけど、そこにストーリーとは違う余白があってね。久しぶりに外でご飯食べて、グッと来ちゃったね。

どうしてこういうのにグッとくるかというと、今は分かりやすいもの便利なものが多すぎるんだよ。例えば、ストーリーは映画を作るための一つの道具に過ぎない。ストーリーではない、映画を作ることそのものに、そこに映るものがあるということの方が大事なんだよね。

ストーリーだけを取り出して、分解してみるというのは、ちょっと下品という気がする。いろんなことを分析してこうだからこう、だからこういうことで再現性が高いというようなことって、なんかイヤだなって。自分の性には合わないなって思うけど皆さんはどうでしょう?

Archive
カテゴリー