この週末は『ベアトリネエチャン』というボク作のお芝居を銀座で上演します。
ボクの書いたオリジナルの脚本を、二十歳の娘、ららはが演出するんです。
若手が集まって、上演までこぎつける(中身よりそちらのほうがドラマチック?)という意欲作なので、ぜひ温かい目で応援してあげてください。
若いヒトたちに、やってみたらと機会を与えるのが大人の役割でもあると思うので。
さて、今日はタイトルにもなっている『ベアトリネエチャン』とはなんぞやという話を…。
大正時代、東京にも欧米文化が入ってきましたね。
その流れのなかで、「オペラ」も盛んに上演されたんです。
「オペラ」わかりますね?あー、ってやってるあれ。
「オペラ」は古典ですから、近代に作られた、たとえばモーツァルトの楽譜でもきちんと残ってます。
当然、古典のとおりにやるんだという「再現芸術」なわけですから、作者の意図を徹底して汲み取り、解釈し、再現する。
それこそが、大事ですよという保守的な考えがあるわけです。
原点原理主義とも言うべき、ひとつの信仰に近い考えでもあるわけで(だからこそ古典は残り続けるわけですが)、その思いたるや、とても強いものです。
でも。
演劇というのは、興行です。
お客さんが入ってなんぼという、現実とも向き合わなければならない。
ヨーロッパに出かけた日本人がほとんどいない当時、徹底した『オペラ』の再現を目指しても、多くの日本人がウハハと喜んだはずもありません。
それで、最初は日比谷あたりで始まったものが、徐々に大衆の街、浅草へと移し、かなーり変な形に変えて、『浅草オペラ』として発展していった。
そんな歴史があるんです。
あまたある上演作品のひとつに、『ボッカチオ』というのがあるんです。
オーストリアの作曲家、スッペが書いたオペレッタです。
あっ、オペレッタっていうのは、オペラの軽い版、ミュージカルみたいなもんね。
オペラは「台詞みたいな歌」と「アリア」で進行するんだけど、だから演る方も観る方も、なかなかにハードルが高いわけ。
それに比べれば(若干だけど)、オペレッタには台詞もあるし、喜劇っていう特徴がある、だから上演しやすい。
興行として打ちやすいってことで、この『ボッカチオ』をやることになった。
ところが。
上演を重ねる内に、より歌い易く、より聞き取り易くと、何度も改変しているうちに、まったく原典から遠くなってしまう。
床屋のスカルツァが、寝室に隠れて、浮気をしている妻のべアトリーチェに、そうとは知らずに「早く起きろ」と語りかける滑稽なシーンで歌われる曲。
ベアトリーチェという登場人物の名前さえ、「ベアトリネエチャン」と変えられてしまった、歌詞がこれです。
〜〜〜
ベアトリ姉ちゃん、まだねんねかい
鼻からチョーチンを出して
ねぼすけ姉ちゃん、何を言っているんだい
ムニャムニャ寝言なんかいって
歌はトチチリチン、トチチリチンツン
歌はトチチリチン、トチチリチンツン
歌はペロペロペン、歌はペロペロペン
さあ、早く起きろよ
〜〜〜
古典を勝手にいじりだすと、こうなってしまう、保守的なヒトが聞いたら、嘆かわしい典型みたいな歌です。
これエノケンが歌ったのが残ってるので、聞いてみてください。
トチチリチンツンが耳に残ります。
だからこそ、大衆にはこれが受ける。
ハンブルグステーキがハンバーグになったように、ナポリでもなんでもないのにナポリタンになったように、西洋料理が、いわゆる「洋食」になっていく過程にボクは魅かれます。
AとBが対立し、やがてCへと導かれていく。
その戦いに敗れ、無念と命落としたヒトもいるかもしれない。
いつでも人間は間違う。
だけど長い目で見れば、人間は必ず修正する。
そう思うのです。