「覚る」について

「大夢」って言葉を知りました。
人生の意義を見いだせず、ただなんとなく生きている、それを仏教では「大夢」って言うんだそうです。

起きていても、ぼんやりとした夢の中にいるようなものだと。
日常の些末な現実に追われていると、深い真実の世界が見えない。
さとる=覚る。目が覚める。
なるほど。

夏になると池には蓮の花が咲き始めます。
あの可憐な蓮の花。
そのタネは、何千年も泥の中に埋もれたままでいるんです。

タネは硬い殻に覆われているので、腐ることなくじっと耐えている。
だけど、そのままでは発芽しない。
どうやって発芽すると思います?
なにかの拍子に傷がつき、そのきっかけで、殻が割れ水が入り込むことで発芽するんです。

汚泥の中でじっと耐えて、あるとき傷がつき、ゆえに発芽ができ、池の表面に顔を出し、あの可憐な花弁を広げる。

蓮の生き方から、人としての生き方を学びたまえ、とお釈迦様が語られた理由が、よくわかる。

ボクたちが暮らす現実世界も、きれいごとでは済みませんね。
周りを見渡しても、泥の沼と変わりません。

しかし。
そこから目を逸らしたところで、どこかに極楽のようなところが見つかるわけじゃなし。
人生の意義を見いだせず、ただなんとなく生きている「大夢」。

夢から覚めるためには、蓮のごとき深く傷つくことなんだとしても、できるだけ傷つきたくない、それがほんとのところですよね。

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