琴ならし

岡倉天心の本の中に、「琴ならし」という道教徒の逸話がある。

どんな話かというとね。昔、これぞ森の王様と言われる古い桐の木がありました。その桐の高さたるや、星と話ができるほどで、また、その根は深く地中に下ろし、地下に眠る銀の龍が絡まっていたほどだという。偉大な魔術師がその木を切ってお琴を作った。その琴は不思議な琴で、皇帝もいろんな名手に弾いてもらうんだけど、どうもそのお琴を弾けるヒトがいない。諦めかけていたところ、伯牙(はくが)というお琴の名人が現れ、お琴を前に非常に優しいタッチでお琴を撫で、静かに弦をつまびいた。

白牙が四季の唄をうたうと、それはたちまち、春の音色、夏の音色‥その響きたるやとにかく素晴らしい。次に恋の唄をうたってみせると、森深く、熱烈な恋人を待つヒトの気持ちがうたわれた。

その皇帝が、「伯牙よ、あなたはどうしてそんなにお琴を上手に弾けるのか?」と聞くと「閣下、他の人は自分のことばかりうたったから上手くいかなかったんであります。私はお琴がどうしたいのか?お琴がやりやすいように弾いただけであります。」と、言っている。

岡倉天心はこれぞ日本の芸術だと言っていて、西洋の芸術は自分がこうしたいという発露だけど、東洋の芸術はそれよりは鑑賞者の想像力を掻き立てるような、見るヒトと表現者が一体になるものを目指すべきで、楽器がどういう音を鳴らしたいのかや、受け手、場所、天気、あらゆるものに気を配り、届けなくてはいけないと、東洋と西洋の違いについてを、ことあるごとに術解している。

昔のヒトは苦労した方が良いというけど、苦労するということは、間合いをとるということで、それは、現場にいるということだと思う。現場にいれば小さなことが欠けただけで、大きく結果が変わってしまうことがあるよね?

いくら良い珈琲豆を使っていても、水で入れれば美味しい珈琲にはならない。ちょうどいい温度になるように、カップが温められているとか、お客さんが着席していて待っているとか、いろんなことの統制が取れていないと一杯の珈琲一つ淹れられないわけ。

この琴ならしというのは発信手がどうしたいということだけじゃなく、発信手も受け手も配慮がお互いになされていることがとても大切なんだということを教えてくれるエピソードだと思います。

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