「儚さと美しさ」について

銀座も神戸も桐生も、そしてもうじき誕生する福岡の糸島も、どうやってヒトを集めるのか。
そんな課題を、四六時中突きつけられているボクです。

ボクたちMAMEHICOは、家賃や人件費、借り入れの返済や光熱費、まとまった、たくさんのお金を払い続けなくてはいけない。
だから。
ヒトが集まらない、売上が確保できないならば、必然的に淘汰されるほかない。
さみしいことではあるけれど、小さな企業は淘汰されればよいのだ、という風が吹く時代です。

街にあった、金物屋も八百屋も酒屋も衣料品店も商店街も、みんなみんな、いなくなってしまったわけですから、MAMEHICOだけが生き残れるだなんて思ってもいません。
MAMEHICOなんてほんと、吹けば飛ばされる淘汰の対象でしかない。
そんなことはわかってて始めたんだから、べつに恨み言があるわけじゃない。

ただ。
そんな小さいものは淘汰される時代の中で、いまだ続けていられるのかといえば、「多様性こそ、もっとも大事なことではないか」という風もまた、一方で吹いているから、だと思っている。

ボクは美味しい食べ物や、美しい絵画、音楽が好きで、そういった「ボクの好きなもの」を集めて、お店を始めます。
いままさに糸島でもそうやって、お店を作っています。
(11月オープンです)
理想の形にしたい、そのためにはとてもお金がかかります。
もっとお金があれば、もっとみんなが喜ぶのに、といつも思う。

でも。
お金はいつも思っている以上に足りない。
なんとかかんとか、ひとつのお店ができる。
そこにスタッフが集まり、お客さんが集まる。
ボクはそうなったら、店をスタッフに任せて距離を置く。

それからしばらくして、店を改めて見返すと、手を入れたいところがいっぱい出てくる。
メニューも、調度も、キッチンの配置も。
その時の課題に合わせて、少しずつ変えていく。
そうやっていつまでも、手を入れ続けてできたお店は美しい。

ボクはどちらかというと、偶然に起きたこと、セレンディピティといったものを、即興的に楽しんでる店がかっこいいと感じる。
きれいに整っているものじゃなくて、どこか抜けてる、良いんじゃないのそんなの適当で、っていうものに、センスを感じる。

時間をかけ、残したり捨てたりしながら変えていったものは、へんてこだけど、唯一無二になる。
唯一無二になったものは、どんなものも美しい。

そうやって作ってきた店も、淘汰されたりもした。
それは切ないけれど、それもまた美しいことなんだと思う。
どこか儚い、美しいとは永遠ではないと思うから。

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