共感したくて

世の中には、とにかく共感したいヒトって、いっぱいいますね。それは平和なことだと思っています。

うちのスタッフが今朝、クレソンを食べていたので、彼女に、「クレソンて、紫香邸の前の川にいっぱい生えているの知ってる?」って聞いたら、「え、あー知ってるよ、だってそれ採って食べたもん。」その後に「ふーん。」と独り言を言った。

なんでも共感したがる彼女は、ボクが「こういうこと知ってる?」と尋ねると、文脈と関係なく、「え。知らない!そうなんだー」と言う準備が彼女の中で成されている。今回も、自分が用意した「ふーん、そうなんだ」の球をどうしても発射したくて、独り言で言っちゃったわけ。本人にも確認したら、無意識的に言っちゃってる、意味は特にないと言われた。

これはとても大事なことを示唆していると思う。要はヒトは中身で話をしていないということ。

たわいのない会話は、「ふーんそうなんだ、私はあなたに、いつも共感しているわ」と言うニュアンスが伝わればいい。それが、まともに「はい、知っています」となると、そういうニュアンスは伝えられず論理的に片付いてしまう。そうすると、伝えたい気持ちが残像となって残り、漂ってしまった亡霊の様な、あなたに共感しているという気持ちだけが、身を結ばずに糸の切れた凧のようにぶらぶらとなり、独り言の「ふーん」として野に放たれる。

共感してあげるというようなヒトたちの言葉をまともに聞いて会話を分析し、文脈を考えてしまうと、これは非常に混乱する。事実よりもヒトは感情を主体としてコミュニケーションをとっているので、事実なんてどっちでもいいということだと思う。

これが学問、科学、仕事と言うことになると事実の方が大事なので、職場などでは、事実(ファクトベース)よりも感情(フィール)が先行するヒトたちというのは、なかなか生きにくいんじゃないかと思います。

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