飲食店が生き残るハウツー本なるものが本屋にずらりと並んでいたので、パラパラっと立ち読みしてみました。
コロナ後の飲食店、そのあり方が厳しくなってるって書いてありました。
そのなかでも「カフェとバーは商売として続けていくのが、極めて難しい」とも書いてあった。
なんでも。「誰でもできる商売の筆頭がしら」がカフェとバーなんだそうです(たしかに淹れるだけ、混ぜるだけ)。
誰でもできるものを提供して、商売として成り立つはずがないと。
「そんな甘っちょろい志では、今の時代は生き残れないのだ」と書いてありました。
ふむ、ふむ、ほんと、なるほどです。はて。と、本を閉じて散歩してみた。
なぜボクは、MAMEHICOを長く続けられているのか?
ボクが、「MAMEHICOがカフェを長く続けられているわけ」という本を書いて出したら、多少、売れるのだろうか?
ぐるぐると考えながら散歩してみる。
MAMEHICOだって、もはやこれまで、という危機がなかったわけではない。
小さな危機なら、日常茶飯事だ。
では危機のたび、ボクはどうしてきたかというと。
どうにでもなれと、守りに入らなかった。
いわば「必殺、投げやり経営」という調子でやってきたから、誰の参考にもならない。
今だって明日どうなるかわからないわけだから、本なんて書ける立場でもないし、そんな本が売れるはずもない。
ただ。度重なる危機のたび、近くのスタッフ、お客さんたちは一致団結してくれ、MAMEHICOを守ろうとしたことは間違いないんです。
もちろん、一方的に助けてもらったわけではなく、ボクもMAMEHICOも、ずいぶんとヒト助けをしてきたと思う(自分で言うなって感じだけど)。
いわゆる、持ちつ持たれつの互助関係があって、これは決算書だけでは見えにくい数字です。
カフェというのは、世相に左右されやすい業種です。
一昔前まで、日本人は喫茶店で珈琲を飲むのが当たり前、それがのちにカフェとなり、いまでは、抵抗があったはずの紙コップで珈琲を飲むことが当たり前になっている。
そんななか、落ち着いた雰囲気で珈琲を飲ませる店を作ってやっていけるのか?
それは考えなくちゃいけないと思います。
紙コップで提供するなんて、味気ないと腐したところで、世相を自分の力では変えられないわけです。
だから逆張りするなら、その根拠を持たなくちゃいけませんね。
世の中に合わせるところ、頑として合わせない、譲らないところ。
双方のバランスを見なくちゃいけない、経営はここが難しい。
ボクもMAMEHICOをやりながら、いろんなことを試してみている。
お客さんの飲食代をすべてタダにする「タダヒコ」っていうのもそのひとつ。
全品タダにするっていう、下品な荒業に出たわけですが、やっぱりこういうのって、やってみなくちゃわかんないんです。
やってみたから見えてくることって絶対あって、「タダだから来る」っていうお客さんばかりではないんです。
なんとなく面白そうだから参加してみた、日頃からお金について考えてみたかった、っていうヒトもまた集まってくる。
そのなかから、ボクたちの仲間になってくれるヒトもたくさんいるわけです。
社会に対して、「そいつはケシカラン」という思いはボクにだってある。
だけど「ケシカラン、だからどうする?」っていう課題を、ボクは投げかけなくちゃいけないと思っています。
面白い企画を考え、どうやってみんなを巻き込むのか。
そりゃ、なかなか良い企画なんか思いつかないし、パッと手伝ってくれる人間関係がないと実現は難しいし、ひとつ試してみるのも手間だってお金だってかかる。
なるべく自分の手足を動かしてコストを下げて、一個でも試して、うまくいく方法を探る。
ボクがMAMEHICOを長く続けてこれたのは、このへんの手当たり次第があったからじゃないかなと思うのです。