人間には「徳の人」と「才の人」がいると思いますね。
世の中はどういうわけか「才の人」を育てすぎてるんじゃないかというのがボクの非難するところでね。若い子たちと接していても、すぐ、スキルに走りがち。
リーダー気質が「徳の人」で、「才の人」は「徳の人」の下で何かをするということ。リーダーは組織が大きかったり、立場が偉くなればなるほど徳を要求されると思う。
ところが、今の政治家やリーダーは、地位が高い程、徳がないから、徳より、才がある方が、魅力的だと感じている子どもが多いのかな。だけど、やっぱり徳の高い人、道徳的、倫理的なことが高いということは大事で、器がでかいというのが、どこか清濁合わせのむことが出来る、いろんなことを総合的に考えられることだとすれば、やっぱり特定の技術や才能の高い人が集まってもしょうがないんじゃないの?って思うわけ。
学校で習うというよりは、日々の生活の中でいろんな経験をすることで徳を積むしかない。
子どもが小さいうちにいろんな経験、特に失敗の経験をさせることや、好き嫌いが固まらないうちに、いろんなものを食べさせたり、やらせることは徳を積む上では大事じゃないかな。
この前、王貞治のインタビューを見たんだけどね、王さんは「才の人」だけど、徳もある人だなと思うよね。
王選手はホームランの数は意識しない。どんな打球を打ち返したかに集中し、たとえホームランだとしても自分の思い描いたものじゃなければ、たまたまホームランになっただけという意識で打っていた。
そのために、どんな訓練をしていたかといえば、一にも二にも素振りで、どういうふうにスイングしたかに集中したというんだよね。
いい時はバットが高い音でビュンと風を切る、その音の感覚を覚えておいて、打席に立った時にその感覚で打ち返すと、結果的にはホームラン王になったという話を聡明に話されていた。気持ちを持って臨んだ結果、技術も上がる。欲があるようでない、自然の強さを感じるよね。
今、親や学校はハウツーで「才の人」を作ろうとするけど、「徳の人」というのは求められていると思うから、「徳の人」になるように努めた方がいいかもね。