「類推力」について

店の前は毎日、色鮮やかな選挙カーで賑やかです。
あー、どうにも、日本の行方が気になりますね。

さて。
福岡の糸島でMAMEHICOをやる準備をしていたわけですが、開店直前になって、ストップとなりました。
いろいろ細かな法律の規制がある地域でして。
それらをクリアにしないと開店できないそうです
もっとも、この話は旧知の友人から、糸島にカフェを作ってほしい、その依頼を受けて始まったことですから、
依頼してくれた友人と行政との話し合いで解決してもらうほかありません。
糸島だけに、解決の糸口を探ってもらうとして、ボクたちは、次のことをやらなくちゃいけません。

11月から、東京では営業時間とメニューの値段を改めます。
そのあと神戸、桐生と続きます。
コロナ禍が開けても、以前のような客足には戻っていないのです。
イベントをやっても、以前のような集客の勢いはないのです。
さらにコロナ禍に借りた融資の返済も始まっています。
そこに新規開店が4件続きました。
もうこれは、なかなかにMAMEHICOの現状は厳しいのです。
うちのように小さな会社がやってる街場のカフェに、いまみたいな社会保険料の負担や増税などをされたんじゃ、まるで泥沼にはまった子鹿のようです。
事業をやられているみなさんは、どうですか!?

「どうせほかに別な事業をもっていて、その片手間にMAMEHICOをやってるだけでしょ、税金対策とか?クフフ」とせせら笑ったお客さんがいらっしゃいましたので、悪いけどグーでぶん殴っときました。

声を大にして言いますが、「MAMEHICOだけで、なにからなにまでやってるんです」と、選挙カーの上で叫びたいほどです。

当然。
カフェの売上が悪くなればもはやそれまで。
金融資産やら不動産投資やらに、てんで縁がないボクですから。
まっすぐ一本勝負、MAMEHICOとボクは一蓮托生です。

昔、貧しい家に産まれた子は、なにからなにまで自分でやらなくちゃいけなかった。
だから、そういううちの子はなんでもマルチにできて成功した、っていう偉人伝が好きです。

ボクも貧しいMAMEHICOのおかげで、なにからなにまで覚えました。
裁縫と洗濯のほかは、なんでもできますし、「またなにをやっても上手ねっ」て褒められます。

いろんなことをやってますと、まったく関係のないことが似ていることに気が付きます。
小さなことですが、生のくるみを割っていたら、その色形が脳味噌にそっくりで、たくさんの人間の頭をパカパカ開けている気になりました。

ほかにも、ボクはMAMEHICOで音楽制作もしてるんですが、これはカフェの運営と実に似ています。
店を作るとき、ボクの体験を元に、視覚、聴覚、触覚、味覚、ひとつずつデザインし、心地よさとはなんなのかと配置していきます。
音楽制作においても、ボクの体験を元に曲と詞を作り、心地よさとはなんなのかと、そのあと細かく音やリズムを構築していくからです。

またMAMEHICOでラジオ番組を作っているんですが、全体の時間をもとに、トークの構成やゲストとのやり取りなどを考えていると、これって限られた予算で、たくさんの業者さんとお金のやり取りしながら、お店を作るのと同じ頭の使い方をしてるなと思うんです。
違うと思っていたものが、あれもこれも似ている。

そうこうしていくうちに、だんだん「境界線」がぼやけてくる。
ついには、自分と他人の区別も曖昧になって来る、そんな感覚を持てたのは、MAMEHICOで何でもかんでもやってきたおかげなのです。

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