現実に理想を込める

若いヒトと話をしていると、理想と現実の対立の中に閉じ込められてるヒトが多いなという印象を受けます。

世の中全体が幼児化しているということなのか、そういう思春期みたいなことを30代後半でもまだやってるヒトが多い。

ボクの周りには独身の女性や男性が多いからなのかもしれないけど、子育てをしようがしまいが、この問題って、社会とかかわっている以上、どこまで逃げても追っかけてくるんじゃないかなってボクは思うんだよね。

ボクは現実に理想を込めるというのを大事にしている。現実と理想を融合させるということ。

カフェをやってるボクからすると、来月の家賃の支払い、そのめんどくさいの誰がやるの?という現実に追われて、金がないから、あれがないからしょうがないと言っても、じゃあ、なんのために生きてるの?なんのためにこれやってるの?というところにぶち当たるわけ。

お金だけじゃない世界、人間の持っているいい面に光を当てたいとか、疲れちゃうなら休んでやるとか、日々の現実の中に理想をちょいちょい込めていく。

逆に、理想が先にあって、そこに現実を当てはめるヒトは脆いという気がするよね。現実も理想も常に紙一重にするというのかな。

すごい理想があって、現実を無理くり近づけるよりも、現実と自分の理想は常に紙一重。そういう風に理想を持っていれば日々楽しいし、自分のささやかな理想を一緒に歩いていきたいヒトと、モノは作れるよなと思うよね。

ボクなんか、まもなく干上がって水たまりじゃなくなっちゃうようなところに、健気にツガイになってトンボが卵を産み落とすのを見ると、いいなって思う。

仮に卵が干上がって羽化しなかったとしても、ささやかな理想を持って子どもを産めばトンボは絶滅しないけど、トンボみんなが理想を持って綺麗な水がないと産みたくないと嘆いていたら絶滅するよね。

現実に小さな理想を込める姿の方がボクは共感しやすい。

綺麗な水でしか卵を産みたがらないトンボより、泥水の中に卵を産み落とす、そんなトンボに自分はなりたい、そんなことを思ったり思わなかったり。

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