寒空に二頭のゴリラ


小さいときは転校を繰り返したから、
故郷というものはないんです。
ただ、あるとすれば、
東京郊外の風景が、原風景だ。

上にピューと水が出る水飲み場、
歪んだフェンスのゴミ箱、
低いベンチとジャングルジム。

たとえば二頭のゴリラがいるような公園、
そこが、ボク達の居場所だった。

塀をよじ登ったり、
高いところから芝生に飛んでみせたり。

そういうところは懐かしい。

団地の片隅の公園に、遊びに来る子どもたちは
きっと少ないだろう。

ゴリラの話し相手は、
団地に住むお年寄りばかりか。

そして、それももうじき終わり、
オートロックのマンションに建て変わってしまう。

それはちっとも、良いことだとボクは思わない。

建て替えれば、断熱性や調度は良くなるだろうが、
このゴリラのような、ゆったりとした空き地の価値はなくなる。

こういう余白は、絶対に必要だと思う。
それを残す方法はないのだろうか。
そういうものを残すことに賛成のヒトは、
きっと少なくないだろうに、流れは止まらない。

なんでも古ければいいわけではない。
整理整頓と掃除をしないから、
古いものはただみすぼらしく、
ごちゃごちゃのままで無価値であり、
それならいっそ、壊そうよとなる。

古くていまにないものは、
きちんと取捨選択して、
つまり要らないものはこまめに捨てて、
残す価値が有ることをアピールしなければダメだと思う。

もったいないとなんでも残して貯めていると、
いざという時、こんな汚いもの、
いっそ壊そうとなって、
ますますもったいなくなるとボクは思う。


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