【イカハゲ塾レポート】
「渋谷と代々木の地政学」後編
~水平移動と垂直移動の街づくり~
前半は東京と富士山の位置関係、渋谷川と宇田川に挟まれた渋谷の地形、江戸時代の人にとっての渋谷と、川を越えることの意味についてのお話がありました。
後半は、ちょっと時代を飛び越えて、電車が走り始め、高度経済成長期に入る頃のお話へ。JR(旧国鉄)と私鉄の違いや成り立ち、それぞれの関係性のお話は、普段利用する路線をイメージすると、なかなか興味深いものです。
その中で「砂利電」というワードが登場しましたが、その名の通り、砂利を運ぶ電車のこと。かつて、渋谷と二子玉川を結ぶ東急玉川線と呼ばれる路線があり、コンクリートの材料となる砂利を玉川で採掘し、運んでいたそうです。今は多くの人を乗せている電車が、かつては砂利を運んでいたのですね。
その後、玉川での採掘が制限され(水位が下がって海水が逆流するようになったため)、電車で砂利を運ぶこともなくなったため、東急が沿線の地域を開発し、今では住宅街となりました。東急沿線にそんな歴史があったとは驚きです。
そして渋谷の街に目を向ければ、窪地である駅周辺に人が集うようになり、そこには多くの商業施設が誕生しました。東急百貨店、西武百貨店、パルコ、東急ハンズ、LOFT、Bunkamura、109、QFRONTなどなど、渋谷駅周辺には東急と西武が競うように新たなビル建設。そこは単に買い物や飲食をする場としてだけではなく、劇場やギャラリーを併設し、文化創造の場としても発展していきます。
ちなみに、渋谷マークシティは東急の商業施設ですが、その中にあるのは京王井の頭線の渋谷駅です。どうして東急のビルに京王の路線が入っているのか、言われてみれば不自然なのですが、かつて京王は東急が持っていた路線なのだとか。しかし、あまりにも東急の規模が巨大になりすぎたため解体させられてしまい、今ではそれぞれ別の私鉄となっているそうです。
時は流れ、2019年。渋谷駅はまた大きく変わろうとしています。かつて渋谷の街を作り上げた東急と西武は、役割を終えた商業施設を畳んだり、大規模なリニューアルを計画しています。マメヒコ公園通り店の目の前にあったパルコも、しばらく大規模な工事が続き、いよいよ今年の秋にリニューアルオープンするとのこと。東急東横店も、一部の区画を除き2020年3月で営業終了するとのニュースが報じられました。
一方で、近年は駅前にはヒカリエや渋谷ストリームがオープンし、今年秋には渋谷スクランブルスクエアが開業します。狭い区画に背の高いビルがにょきにょきと乱立し、渋谷の空を埋め尽くしそうな勢い。そして、これも井川さんはよろしく思わないようなのです。
かつて東急と西武が切磋琢磨し渋谷の街づくりをしてきた時代は、パルコの前を公園通りと呼んでみたり、東急本店に隣接するBunkamuraが開業した際には文化村通りと名付けてみたりと、渋谷エリアを水平に回遊しながら、街そのものを楽しんでもらいたいという意図があったように思います。(水平と言っても、渋谷はスペイン坂やオルガン坂などの小さな坂から、道玄坂や宮益坂のような大きな坂まで、足を使った上り下りは多いのですけどね。)
ところが、最近はどのエリアも駅ナカ、駅ビルの開発が進み、駅を一歩も出ずにコトが済んでしまいます。移動するのはエスカレーターやエレベーターで垂直方向に。まるで、駅の中が縦に伸びた街そのものです。それは雨の日も暑い日もアクセスしやすいという利便性がある一方、四角い箱の中でテナントは画一化し、渋谷だろうが新宿だろうが池袋だろうが、その街の持つもともとの魅力や文化、地形から生まれた独自性を隠してしまってはいないでしょうか。
渋谷川や宇田川を暗渠として隠したように、高層ビルの乱立で街の手触りを覆ってしまうようなことは、スピードや効率性、利便性と引き換えに、何か大切なものを失っているような気がします。それが、井川さんの「けしからん」なのです。
平成から令和へ、そしてオリンピックイヤーを迎える渋谷の未来。変わりゆく街並みと、変わらない地形の記憶に挟まれ、人々はどこへ向かうのでしょうか。
時代の流れは、川の流れと同じで簡単に止められるものではありません。流れに乗り、でも流されず、私たちはこの時代に生きねばならない。そのためには、もっとたくさんのことを知り、いろんなことをあらゆる角度で考えたい。そんな人たちが、このイカハゲ塾に集まっているのだと思います。水曜日の夜は、どうぞ公園通りの坂を上って、イカハゲ塾の扉を叩いてみてください。