努力が足りないのか?

努力が足りないのか?

資本主義というのはどうしても格差が広がるように出来てるから、自由が自由であるためには、政府の関与は絶対に必要だと思うんだよね。でも、規制緩和が突き進んで、椅子取りゲームのような状況になっていると。で、椅子の数そのものが減っているんだと。マメヒコで若い子たちと話すと、その子たちには「努力が足りない」もしくは「自己責任なんだ」という考え方が非常に浸透しているんだけど、それは椅子がとれないことに対して、努力不足や自己責任だということで若い子たちを煽ってるからじゃないかな。
だからこそ、自分で考えた方がいいと言うけれど、自分で考えられるっていうのは、衣食足りて礼節を知るじゃないけど、自分に余裕があるヒトの話だよね。余裕がないヒトはやっぱり長きに巻かれちゃう。それは言いなりになるということだけじゃなくて、小さいことに囚われて大きい視点で物事が見れないってこと。資本主義はけしからんというと、共産主義という権威にすがっちゃう。なんとなく中庸でいるってことができないわけですよ。中庸でいるためにはヘタレてはダメだから、健康でなくちゃいけない。そうなると自分の食生活、生活習慣そのものを考えなきゃなかなか中庸でい続けることも難しくなる。
資本主義はある程度共同体があって成り立つと言われているけど、今はみんなバラバラになってて、日本人としてのコミュニティ自体がなくなっちゃってる。けれど、色んなヒトたちがいて色んなコミュニティがあれば、そこに居場所を見つけられるということがいいわけでしょ。対症療法としては、努力が足りないからとか自己責任という考えは改めて、努力なんかしなくたってここにいてもいいし、楽しく生きてていいし、あなたが失敗したことは全て自己責任ではないということを、誰か大人のヒトがさ、周りの誰か若い子に言ってあげた方がいいんじゃないかなと思うけどね。

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