今は、短時間でいろんなことを考えるようになってますね。
ボクが世の中変わったなと思うのはバブル崩壊の頃。
バブルの時にできたものを崩壊以降も変えずにそのまま続けようとして破綻していったというのかな。
戦争で、東京も含めて大空襲にあって焼野原になった日本の国土。
それから復興が始まり、とにかくこの危機的状況を脱するんだと、先人のヒト達が一生懸命苦労して今の街がつくられたわけだけど、これは短期的に視て行われたことだったと思うんだよね。
でも、その時はとても最適解だけど、今はどうなの?
何十年か活発だった重工業も含め、衰退の一途。
あの時に考えられた街作りで上手くいってるところなんてほとんどないよね。
あの時は正しかったと思うけど、その後は少しずつアップデートするなりしてもよかったわけで。
先のヒト達もあとに続くヒトたちがそういう風により良くしてくれるだろうと思って街をつくったんだと思うんだよね。
ところが、今の40,50代のヒト達は、今あるものは変えられない、しょうがないでしょという感じになっている。
長い目で視て考えることをずっとしてこなかった。
このままじゃおかしいといったヒトはたくさんいたでしょうが、多数決の論理もあるし、物は、作るより改良していくことの方がクリエイティブで手間がかかり、スキルもいるからね。
だから、そういうことに関しては、ついぞかまけてきたという気がしてならない。
長い目で視て考えるというのは教育、国家間、全世界的な問題だと思う。
でも、神様もいない、前の世代と今の世代が分断されている状態では、長い目で視て考えようがない。次の世代にこういう街を残していこうなんて発想はしない。
ボクらも渋谷の街を出ようと思った考えの一つは、高い家賃を払ってもそこに何か残るわけでもないし、払い続けられるかもわからないのに、渋谷にずっと居ること自体、長い目で考えていないことなんじゃないかというのがあったわけ。
そういう意味で、長い目で考えると東京のど真ん中で継続できるのか、地方含め自分たちの次の世代その次の世代も安心できる拠点を今のうちから考えて作らなきゃいけないなと思う。
どうしても、目先の事が大変だと、長い目で視て考えられない。だから、長い目で視て考えるということをみんなで意識していかないとならない。
自分たちのやり方を根本的に考え直すきっかけになればいいなという自制の気持ちも込めて「長い目で視て考える」というのを「10の大切なこと」に盛り込んだ次第であります。