ナーハム制作
「ナーハム」とは、キリスト教の聖書の言葉で、「慰め」とかの意味があります。
語源は、「深く息をする」ということ。神がナーハムするというのは、神がため息をつきながらもお慈悲をくださって、人間が抱えている苦しみや悲しみを理解してくださるということ。「ナーハム」は、自分の抱えている悲しみや苦しみを理解してくれるだけで慰めなんだということ。
たとえば、自分と同じような境遇にいながらも頑張ってる人の背中を見れば、「あの人もきっと、私以上の悲しみや苦しみを抱えているに違いないのに、愚痴るでもなく、途中で止めるでもなく、今日も明るく楽しくやっている」と思えて、その姿そのものが私の慰めなんだと思うことって、あると思わない?
今、コロナ禍で、自分しか見えにくくなってるけど、深く息を吸えば、頭の中に酸素が巡って、悲しみがあったとしても楽天的になると思う。悲観的になってしまえば誰の慰めにもならないと思う。
息が浅くなって、思考停止になっちゃってる気がするヒトは、深く息を吸えばいいと思うよ。マスクして仕事しなきゃいけないんだったら、時々外して、深く息を吸えばいいんじゃないの?せめて。
アルバムのタイトルを「ナーハム」とつけたエトワール★ヨシノさん。ヨシノさんの歌には、力があるけど、でも、身近に慰めてくれる人がいるってことがとても大事。そういう人を探せば、いるかもしれない。そういう希望を持つことが大事だと思う。
テレビや、音楽、エンタメの世界に救いを求めて、この人さえいれば大丈夫っていうのは、裏を返せば現実に対する失望の表れだと思うの。疑似的なものにだけ救いを求めるというのは、現実世界に失望しているからでしょ。
歌やラジオが、慰めになる人を探そうと思うきっかけになったり、身近な人が身近すぎて有難みが薄れちゃってるときに、歌詞でも言葉でも、インスピレーションになって、気づきになるということがあると思うのです。