ヨシノのライブ
ボクは、エトワール★ヨシノとして、ライブをしたり作曲したりしているけど、そういうことをするとは、ホントに思っていなかった。
もともと、ヨシノはお芝居の中の役として誕生した経緯があるので、いわゆる音楽活動というつもりではやっていないんだよね。
ヨシノとしてライブをやったときに、観客がボクではなく、ヨシノさんを観ているなと思った瞬間があった。お客さんの目線から、これはボクとは違う何かだと感じた。
ヨシノは、ライブだけにしか生きていない。ライブはヨシノが生きている瞬間であり、ヨシノである事が大事。ライブって、そういうことだなって、ボクの中で思う。ライブとは、生きていること、暮らしていること、そのものなんですよね。
ヨシノが生きているとういことは、ボクが生きているという事。ヨシノのライブの動画の編集をしていると、ヨシノの表情が、アルバムの中の小さい時の自分によく似ている。くったくなく、ケラケラと笑っている。
今のボクは、もう、くったくなくは笑えない。いろんな事を知ってしまったから。単純には希望を持つことは出来ず、使命を感じたり、なんともできないだろうと思ったり、複雑になる。
ヨシノが伝えようとしている事は、ボクが小さかった時に伝えたかった事。小さい時の自分を表現している。
ヨシノは、観客に、シンプルに「こうすればいいことじゃないの?」と言う。すると、観客が、ギャッと笑う。これは、子どもと子どもの関係だよね。ヨシノを良いという人たちは、その人の中にいる子ども性が、ヨシノを観て、「この人、友達だ」と思っているんだろうね。
大人の自分としては、集客数を考えたり複雑だけど、ヨシノは、もっとシンプルで、ヨシノが生きていることをたのしんでいる。
ものを作っているときは、子どもだった時の自分との対話。そして、ヨシノを通じて、子どもだった頃を外に出せて、世間との対話が出来る。それがボクにとってのヨシノのライブです。