而立、不惑、さて天命
「而立」、「不惑」、「天命」とは、中国の孔子の「論語」の中の言葉。
30歳になって学問の基礎が出来て、「而立」できるようになる。40歳になると「不惑」と言って、心に迷いがなくなる。50にして、「天命」を知り、自分が生きてる意味をようやく自覚する。
確か、クルミドコーヒーの影山君と、お互い40歳になった時に、このラジオで、「40にして惑わずと言うけど、どう?」という話をした記憶がある。
「8年間40代をやってきたけど、戸惑ってないのか?」と、自分の事を振り返ってみると、そうね、戸惑ってはいないかもね。いろんな事があったけど、迷いはないかな。
なんでかと言うと、決めないからじゃないかという気がする。
「この道に進む」という事を、特に決めてない。例えば、40になってカフェの道を究めるとかね。本来はこうあるべきだと思うからこそ、戸惑うわけだからね。
短いタームと長いタームでは、見えてるものが違って、真逆に見える事があると思うんだよね。例えば、海は遠くから見ると、水平線がまっすぐで真っ平に見える。でも、近くに行ってみれば波打ってたり、暴れたりね。タームの長短によって、真逆に見えるというのが人間の目だと思う。だから、近くで見るから波立ってるだけの事で、引き絵で見れば、それほど戸惑う事ってないんじゃないのって思う。
同じように、しょっちゅう会ってるヒトは親しいと感じ、逆に、ちょっと離れると関係性が薄れたような気になる。、、という様に、近く、遠くという空間的なものもあるね。これも、あらかじめ意識していれば、あんまり戸惑わない。
ボクは、自分の歩き方を自分で決めている。自分はこうなんだと決めれば、その人のパッションで観衆を変える事が出来ると思う。
この後、50になって「天命」を知る事になるらしいんだけど、それは40にして「不惑」でないとだめだろうね。
とりあえず、あんまり動揺しない40代で最後までいきたいなと思う所であります。