レッセ・フェール
レッセ・フェールという言葉があるんですね。これは自由放任主義という意味。
現代はレッセ・フェールという考え方がベースになっている。
資本主義社会とは、自由主義、自由経済が基本になっている。いくらで売りたい、いくらで買いたいという人がいて、お互いに合意すれば商品は交換出来るというね。
さらに、いろんな事をしゃべったり思ったりする事は自由で、これは民主主義。経済、政治、日々の活動は自由にやっていいんだよという、とても良い時代。
「レッセ・フェールのパラドックス」という言葉があってね。例えば学校が、裸で来てもいいし、なんなら来なくてもいい、などと、自由放任主義にやりすぎると、却って不自由になる事が起きうるんだね。
今の日本の社会はどうかと言うと、小さくやっている漬物屋、金物屋なんかは淘汰して、グローバルに活躍する企業を作るべく、国際競争力のある会社をたくさん生むんだという事をまことしやかに思っているヒト達はいっぱいいる。ドイツのレプケが言う様に、適正な所に適正に政府が介入していかないと、大きい会社だけが生き残っていく事になっちゃう。
今は国民の豊かさよりも、一部の人達のお金が儲かる事の方に正義がある社会でしょ。でも、人間はお金が全てではないし、それに気づいているヒト達はいっぱいいる。
いくらお金を持ってても、幸せになれるとは限らない事は事実。行き過ぎた自由放任主義、レッセ・フェールのパラドックスを感じているヒトもいっぱいいる。だからと言って共産主義的になって、監視国家になって統一主義になるのもダメ。
結局、社会が変わった所で、これが万全という事はないので、自分達の生活、生き方そのものは、自分で考えて構築していくしかないと思うわけ。
自分という人間が国家だとしたら、資本主義、社会主義、どちらかではなくて、自分の中のレッセ・フェールをどういう塩梅で構築するか。それが問われているんじゃないかと思います。