「共同体主義」というのは、資本主義の中に居ながら、コミュニティの価値観や共同体を重んじること。
ボクはどっちかと言えば、共同体主義の考え方に近しい。
自由は好きだけど、自由過ぎると、ろくなことがない。
これを「レッセフェール(自由放任主義)のパラドックス」と言うんだけど、自由を推し進めた結果、余計に不自由になることがある。
日本は、ずっとデフレが続いていて、本来なら緊縮財政を解かなきゃいけないけど、規制緩和を取っ払って自由競争を良しとしている。
田舎にあったような商店街も、イオンが出来たら淘汰されて、ローカルに根差した文化がなくなってしまっている。
すると、結果的には、選択肢があるようで無い社会になってしまって、社会が衰退していく。
ボクは政府がなんでもかんでも制度を取っ払って自由にするのがいいとは思わないけど、ある程度、大手ばかりに集中しないよう介入して配慮すべきだと思う。
共同体主義の閉じているコミュニティが出来ると、同調圧力というものが生まれるよね。
そうじゃなくちゃいけないということが伝統を生むし、同調圧力をみな否定していたら、コミュニティである必要がないと思う。だから、みんなで同じようなものを良しとして、それ以外のものを是正していく同調圧力は、全く悪いことではないと思うわけ。
ただ、同じような価値観を持つ人たちが集まる共同体がクローズになると、共産主義と近しくなってくるという弊害はある。
それをちょいちょい逃がす仕組みとして、外のヒトと触れ合う(オープンである)ことが一番大事だという気がする。
カフェは、ふらっと入って来られるという点で、とても良いと思ってる。
村社会の持っている温かさを保持しながらも、同調圧力や、他者や違うものを排除する圧力を食い止めなきゃいけないと思っている。
ボクは共同体主義についてシンパシーを感じているけど、それには絶対にオープンであるということが必要条件だと思います。