音楽と演劇とカフェ④

ボクは、コロナになる前から、音楽、演劇、映画なども、どんどん分断の方向に走っていると感じてた。スマホで音楽や演劇を観ることで、ヒトとヒトとは分断されていると思ったわけ。

ボクがテイクアウト珈琲をやらないのは、テイクアウトはとてもパーソナルだから。音楽で言えば、イヤホンと同じ世界観なんだよ。
以前は、購買部というテイクアウトの店をやっていた。マメヒコの珈琲カップを持って行けば、どこでもマメヒコになることが、とても可能性があるなと思ってやっていたけど、お客さんのほとんどは、購買部ではなく、マメヒコに来る。それはマメヒコという空間、ざわざわした感じも含めたカフェの共有の力を信じて来てるということなんだよ。外の世界がジャングルでも、カフェで、音楽劇やライブをみんなで共有することで仲間意識を持てる。でないと、ヒトは孤独を感じるんだよ。

コロナでエンターテイメントも含めて、ヒトは、より分断され、バラバラにされ、パーソナルなものになって来た。音楽も、みんなで一緒に同じ場所を共有するという、もともと持っていた力を、さらに切り離されたわけでしょ。

これはとても深刻なことになると思う。本来の音楽がもっている力や、みんながなんで都市に集まって暮らしているかという、そもそもの根源を揺るがすこと。集まって暮らしてるのは意味があるからでしょ。

音楽と演劇とカフェの持っている、同じ時間をみんなで共有するということが都市で生きる力なんだよ。ボクは、カフェも、同じ時間帯、同じ場所にいることで何かが宿ると思ってやっているわけ。

だから、いい?みんなが考えなきゃいけないことは、今は道徳的なこととして、ソーシャルディスタンスをとらされているけど、同じ価値観を持っているヒト達と、同じ時間を共有し、同じものを食べることを通して、初めてヒトは自分が一人じゃないんだと感じるんだということ。
これは絶対に必要だと思うよ。

考えてみてね。

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