せめてもの暗示、について

SNSやTwitterで、「あいつ批判に弱いなー」という批判を時々見ます。
でも、ボクとしては、「それ言ってもしょうがねーんじゃね?」って思うところがあるのね。

批判に弱いのって、それは大きさの違いだろって思うんだよね。
社会は弱肉強食で、お金があるヒトの方が無いヒトより強い。組織が大きいヒトの方が小っちゃいヒトより強い。
批判に弱いのは小さいからに決まってるんだよ。

例えば、ある作家が新聞社とやり合って裁判になる。一作家が方々から批判されて、それに答えろと言われて、いちいち答えていられないためにブロックすると、批判に弱いなあ、自分が正しいと思ってるなら反論しろよ、という論調があるんだよね。

強いものが勝って、弱いものが辛酸を舐めるというのは世の常だからね。それは自然の摂理でもあるので、ボクは弱いものも強いものも平等であった方がいいとは思わないよ。
でも、作家というのは一個人で、とても小さい存在。それに対して、匿名性のあるヒト達がこぞって批判して、それに答えろというのは大きさが違うでしょ?

例えば正誤を求めることがある。正しいか間違ってるかすぐ答えろっていうね。それがどういうことか説明して、と言うヒト。それって自分の方が立場的に力関係が上だと思ってるから求めるんだよね。
ボクは、なんでもない無名のヒトに、それってどうなのか説明してというのは暴力だと思うんだよね。

やっぱり、立場の大きいヒト、匿名のヒトが、立場が小さいヒトに対して「批判に弱い」と言うのは、生理的にいじめているようにしか思えない。とってもいやらしいことだなと思うんだよね。

だから、批判に弱いと思われたくないからと、いろいろ説明しようとしなくてもいいんだよ。負のエネルギーをバネにしようと努力してもダメ。限界あるよ。
立場の強いヒトには言わせとけ、立場が弱いヒトは関わらずに逃げるってことを覚えた方がいいんじゃないかなって、ま、そういう話。

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