昨日、群馬、前橋のサンデールームという自然農法の野菜を売っているお店で、
「井川さんの雑話会」をやった。
ハタケマメヒコの小豆を使った「ぜんざい」を振る舞うという文句で、
何人か集めてもらった。
サンデールームでの雑話会は、去年の夏以来ぶり。
今回は新年早々にも関わらず、全員女性のお客さん40名ほどいただろうか。
なかには前回面白かったからと、再び来てくれた参加者もちらほらいた。
いつもボクの雑話会はテーマは事前に決めず、その場で思いついたはなしをする。
昨日は、サンデールームの主宰者である星野さんとボクとの対談とのことだったが、
およそ二時間ボクが喋り倒した。
なにをはなしたかはあまり覚えてないけど、
まぁ、いつもどおり最後は観客とボクとのあいだに、
なにがしかの関係が築かれた手応えができて、会は終わりに差しかかった。
ボクは、今の時代、とても自己紹介が大切だと説いた。
これはボクが日頃MAMEHICOのメンバーにも言ってること。
「自分は何者であるか」
「自分はなぜここにいるのか」
これを話せないと、ヒトはまったく信用してくれない。
他人のことはすぐとやかく言うヒトでも、
いざ自分のことを発言するとなると途端に躊躇し、
なにがしたいのかわからないヒトが多い。
まったくもって自己紹介が下手なやつばかりでイライラする。
経済が低迷し、巨大資本だけが生き残る行き過ぎた資本主義、グローバル主義のいま、
お金を稼いで生き残っていくには、なるべく付加価値をつけ高く売るほかない。
それなのに自分が語れないというのは、
自分の付加価値を伝えられないということにほかならず、
だとすると大きな組織に属すほか無い。
それはそれで悪いと言ってるわけではないけれど、
大きな組織に属すのはいや、
でも自分の話しをするのは苦手です、
これではどうにもならない。
相当なスキルや誰も出来ないなにかがあるなら、
口下手でもなんとかなるかもしれないが、
これだけインターネットやデジタルが発達してるなかで、
スキル一本、勝負していくというのはそれまた難しい。
MAMEHICOでも自己紹介させると、
「自分は何者でもないです」
「特に何かやりたいというわけでもなくて」
「自分はなんとなくここにいるだけです」
とにかく自分の「意思」を示そうとしない。
これでは、ヒトの気持ちは動かないし、ヒトは誰もついてこない。
逆を言えば、ヒトがついてこないってヒトは、
自分を語り切れていないのではないかと思う。
とにかくやろうとしていること、やっていることの動機が、
ストーリーとして鮮明に語られてないように思う。
さて。
そんなようなことをサンデールームでもはなしたら、
「あの、わたしごとでもいいですか」と、訥々と自分を語り始めた女性がいた。
その年配の女性は病気をきっかけに、
自然食品を求めてここに来たのだけれど、このようにイベントに通うようになったのは、
自然食品が目当てではないんだと。
自分の実家は、酒屋か飲み屋かを営んでいて、
子供時代はいつも家に大人たちがわいわいといた。
そんななかで育ったその女性は、みんなが集まってわいわいしている場所が楽しく、
好きだったのだと、年も年になってやっと気づいた。
だから、いまは自分がいずれ店を持てたりできないか、
なーんてことを考えたりしながら、
ヒトの集まる場所を求めてせっせと通っているのだ、
というようなはなしをされた。
その女性の自分語りがとてもよく、
グッと来るものもあって、それがきっかけとなって、
ほかにもほかにも自分を語ることが出てきて、
ときには言葉に詰まったり、泣き出したりするヒトもいたりと、
最後は赤裸々相談会となって、会は終わった。
みんな話がしたいのだなと思う。
けれど、みんなはなしたくないのだなとも思う。
自分の話は生々しすぎて話をするのが怖い。
自分を見ないできたからこそ、いままでやってこれたなんてこともある。
ついつい話をしたあと、しまった、こんなはなしをするんじゃなかった。
後悔した、怖くなった。
はなしたいけど、はなしたくない。
女の子には秘密の花園がある。
自分だけが守ってきた秘密の花園を否定されたくない。
壊されたくない。
守るべく誰にも語らず秘密にしてきたが、
やっぱり秘密ではつまらない、秘密は寂しい。
そういう幼稚でしたたかでわがままな心が、
おとなになってもゆらゆらと揺れている。
MAMEHICOメンバーになったヒトには、自己紹介を指導したい。