100円ライター

昔のドラマを見てると、会話の句読点としての煙草の役割ってあったよね。みんな、ポケットに100円ライターを忍ばせてさ。

人間にとって火を手に入れ、煮炊きして食事をとるというふうに進化したのは大きな発見だよね。人間の叡智の推移を究めたのが100円ライターとも言える。

でも、こういう発明が人間の気持ちを蝕んでいる気がするんだよ。火の神様を僅か100円でポケットに忍ばせることが出来るわけだから、これは神への冒涜でしょ。

コンビニの、100円で寸分違わずに握られたおにぎりを食べ慣れている子ども達は、いびつなものに対して敏感になるんじゃないかな。自分でおにぎりを握った時に、コンビニのようには握れない。自分の価値は100円以下なんだと自己肯定感が低くなっちゃうヒトはいっぱいいるんじゃないかな。

今の時代においては、着火することは簡単に出来る。ボクらに求められているのは、100円ライターでそれぞれが火を灯すことではなくて、薪を集めるということでしょ?自分は100円ライターほどの小さな火でも、乾いた木の葉や丸めた新聞紙に火を移して、そこから小枝のような燃え移りやすいものに移す、更に下から空気が入って酸素の供給が安定的になされ、太い木に移していくことが薪道だよね。

どうやって薪を集めるか?と言うと、自分はここまでしか出来ないけど誰か助けてと、泣き言を言うことなんじゃないかな。

みんなが100円ライターだとして、その火力の弱さを嘆くのではなく、周囲に燃えやすいヒトを集め、常に酸素を供給して消えないようにする。暖まった火は誰のお陰とかではなく、みんなでその火を囲んで暖をとるのが賢いと思うんだよね。

そういう意味では今、みんなそれぞれが100円ライターになっちゃって、その少ない燃料をケチって、仮に点けたとしても誰も暖まってないという状況っていかがなものかな?

古いドラマの煙草のシーンを見ながら思ったので、お伝えしてみました。皆さんはどうお考えでしょうか。

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