菩薩とは修行の身

菩薩とはいったい何なのか、ボクなりに説明差し上げたい。

そもそも仏教の世界は悟りがあって、全部で52の位があると言われている。その修行の身が菩薩なんだよね。

菩薩の恰好は中性的なものが多く、ふっくらとして胸もあり装飾品を身に付けている。菩薩のモデルになってるのは出家する前の王子様だった時の姿なので、耳飾り、派手な装飾品を身にまとっているのが特徴かな。この階層のなかでトップが弥勒菩薩。51段目まで登りきっていて、仏の域とほぼ等しいということで等覚、無上覚と言う。

如来像の左右にいることで知られている観音菩薩と勢至菩薩は対になっているんだよね。阿弥陀如来のお慈悲の部分が体現化されているのが観音菩薩。知恵の部分が形になっているのが勢至菩薩と言われているわけ。

この観音菩薩は、老人の姿、時には兵隊や子どもなど、33の姿に変えながらこの世の全ての人々を救って、願いを叶えるためにいる。

三乗衆という言葉があって、これはなにかというと、声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩と言われていて、とにかく自分で修行する。お釈迦様の言葉を聴いて自分なりに考えて山にこもって、自分なりに悟りを開いていく。

菩薩はそれから一線を画して、迷える民衆の人々を助けていく。自分の修行の過程で知った知識を自分の利益を顧みずに他人にも分かち合えていくという利他の精神を実現してることが大事なんだよ。地獄界、餓鬼界で苦しんで悩んでいるヒト達の話を聴いて、こうした方がいいんじゃないと繰り返し聞いたり、言ったりし続ける。仏教の教えは無常なので、あんまり落ち込みなさんな、有頂天になりなさんなということを諭しながら、自分なりに何かヒトに役立つことをする。他人の苦しみを抜き、楽しみを与えるという抜苦与楽という考えの中やっていくのが菩薩なんだよね。

こういうことを誰かしらしなきゃ世の中回っていかないわけ。そこを目指して、ボクも菩薩の端くれとして、今日も抜苦与楽に勤しみたいなと思ってますけどね。

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