世の中はおかしい、今の日本はとんでもないことになっていますよ、不条理である、もう立ち上がるべきだというのを方々で聞くし、ボクもそう思う。
ただ、それは今に始まった事じゃなくて、ヒトの人生にはつきものだと思うんだよね。
戦時中、食糧難だった時に、配給だけでは足りないので闇市というバラック小屋が建った。法律上は闇市で食料を買ってはいけないとなっていたけど、法を犯して買う。
ボクも闇市があれば買うよ。捕まんなきゃいいんだし、買わずに一家が餓死しちゃったら、もともこもないじゃない。
同じく戦時中に島に送り込まれた兵隊さん達は、食料が全くなくて、餓死しないために草や、ネズミを食べたり…中には死んだ人の肉を食べたヒトもいる。そうやって人間性を失ってしまったヒトがいたらしい。
正しい生活をしてるヒトが滅んで、邪道を踏む、悪い選択をしたものが勝っていくのは不条理じゃないか?と若いヒトなんかは思うよね。
でも、世の中というのはそういうもの。
つまり、何をしても不条理であることが前提になっている苦しかった時代にも、闇市には行くけど、近隣のヒトを殺して食料を盗むことはしない。それぞれの良心の呵責というのがあったわけ。
世の中は正しいことと悪いことがあって、正しいことをしていて損なら、悪いことに加担しようというふうに思うことは浅はかなわけで、悪いことをしたという自分の良心が苦しむわけじゃない?
どんなことであれ、自分の人生にふりかかった苦しいことから逃げちゃいけないということだと思うんだよね。
社会は不条理で溢れているわけで、常に苦しいことを続けて、それに自分を慣らしていたほうが、そういうものだとどこか楽観的で楽しい人生を送れる。というのも一つの先人の知恵だと思う。
こんなことしてみたいけど出来ないな、ということを積極的にやってみる。それを一緒にやる仲間を見つけて、世の中の不条理にはいちいち憤らず、それはそういうものだとした上で、自分の人生を楽しむのが案外必要な気がしますが、みなさんはどうお感じになるでしょうか?