創作の苦悩

今、エトワール★ヨシノのレコーディングの真っ最中です。創作の苦悩はありますか?と言われると、ありますね。

生みの苦しみというのはないんだけど、やっぱり苦悩というのはあって、自分の作ったものを好きになれないというね。自分で作ったものに対する、違和感、嫌悪感が強い。それはなんでそうなるんだろう?

一つは排泄したものということがある。おしっこなんかは身体の外に出た瞬間に嫌悪感があるよね。外に出たら汚いものであるという感覚って、誰しもあるよね。

子どもを産むというのは排泄ではないけど、同じ親子といえども、異物と感じるから外に出す、出産が出来るんだと聞いたことがあるけどね。

自分の理想、こうありたい、あるはずという執着があるから、それと違うもの、でもそれは間違いなく自分から出ているものだからね。

自分が思い描いていた理想とのギャップに悩んじゃうというのかな。自分の中にいたはずなのに、違うもの、コントロール出来ないものが自分の中から出てくるということに対する恐怖、嫌悪、畏怖なのかな。

ライブは、やっている最中は自分が見えないからいいんだけど編集してるときは最悪だね。自分の作ったお店なんかも嫌だね。

その点、料理は嫌じゃない。自分で作ったものだけど、それなら食べられる。

コントロールが出来るからかな。味が薄いと思っても、コントロールが出来る。自分の中では料理は創作だとは思ってないのかもしれないね。

コントロール出来るものならいいけど、歌やお芝居は、自分でもコントロール出来ないと思ってるふしがあるね。

最愛のヒトと別れる、病気が見つかるとか、多くのこと、つまり、自分自身の人生そのものがコントロール出来ない。

創作したものに対して、素晴らしいですとか才能ありますね、とか、どんな言葉でもかけて欲しい、褒められたいというのはあるけど、執着から解き放たれるためには修行が必要だし、執着そのものを捨てなくちゃいけません。

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