ユダヤの法則とは、78対22の法則と言われて、ユダヤ人が商売をする上で、お金を貸したいヒトと、借りたいヒトの比率は78対22というのを見出したのがこの語源になっているんだよね。
宇宙の法則とも言われていて、世の中のいろんなことは、78対22で出来ているという説があってね、別名パレートの法則、働きアリの法則とも言う。
例えば、人間の身体は78%が水分、地球上の海は78%で陸地が22%、空気は窒素が78%で酸素が22%とかね。
ユダヤ人や頭のいいヒト達はこの法則をよく理解していて、上手くやろうとしても、78%しかできなくて残り22%は上手く行かないから、一生懸命やらない。
ボクなんかもみんなを束ねて何かをやっても、全員おんなじモチベーションというのはなかなか難しいと思うことがあるよね。
でも、ボクは、脱ユダヤの法則じゃなきゃダメだと思うんだよね。
78対22の法則を口実にいろんなことが諦められているけど、ユダヤの法則は人間をマスで見た場合でしょ?小さなコミュニティ、個人からすればそんなことはどっちでもいいよね。自分のサイズ、人間のサイズで見るとそういう法則でレッテル貼りをしてはいけないと思うんだよね。その法則で考えたら、夢も希望もありゃしないよね。
ヒトはとても複雑で、どういうふうに転ぶか分からない、可能性を持っていると思うんだよね。
だからユダヤの法則を喧伝することで、むしろ人間というものを上手いこと洗脳して法則に当てはめるようにしてるんじゃないかという気がしてならないわけ。
自分の出来ないことに理由を作ることで、気持ちの溜飲は下がるかもしれないけど、少なくとも努力しようという気持ちは必要じゃない?
MAMEHICOに来たら、お客さんみんなすべからく、来てよかったと満足してもらうとか、少なくともそういう気概を持ってやることは必要だと思っていて、ユダヤの法則を知って、なるほど、じゃあ出来なくてもしょうがないと思うのは幼稚。
それを知った上で、さらに目の前のヒトに一生懸命向き合うのが人間じゃないかって思うけど違いますかね?