MAMEHICOというお店を一年前に作りました。
最初のうちはどういう思いで、
ボクがメンバーシップ制のイベントカフェにしたのか。
どういう理念をボクたちは目指そうとしてるのか。
繰り返し、繰り返し。
その思いとやらを話し聞いてもらう機会を作りました。
しかし一年も経てば、徐々にその機会は減ってきています。
こちらも、
そういう現状に、
「しかしですね、今日、
伝えたいことは、何度でも、繰り返し伝えなくてはいけませんよ。
なんとなく伝わるだろうなんていう考えは甘いのではないですか。
何度も繰り返し繰り返し、言を尽くさなくてはいけませんよ」
そういう風に提言してくれるヒトがたまにいますが、
ふーん、とボクは相手にしません。
なぜかって、
「言葉で伝えられるものは、所詮、言葉でしかないから」です。
言葉ではなんとでも言えます。
とくに抽象的な言葉、
たとえばボクの言葉に共感し、
だからなんだ、という感じなのです。
お店は雨が降ろうが雪が降ろうが、毎日オープンしています。
そこにいるのはボクではなく、
いくらボクの言葉が素晴らしかったとしても、
そしてその言葉に感銘を受けたとしても、
その店に行って受け取った印象、それが答えでしかないのです。
言葉ではなく、実存そのものが答えなのです。
いまいるスタッフは、ボクの近くにいつもいるヒトばかりです。
だからボクとおなじ、様々な共通体験をしています。
年末の神戸のイベントにも全員連れて行くので、
東京のお店は休みにします。
メンバーの中には、様々なイベントに参加してくれたり、
手伝ったりしてくれるヒトがたくさんいます。
それが嬉しいのは、ボクたちと同じ体験ができるからです。
体験を通して、MAMEHICOの目指す行動や
考え方を吸収してもらえるからです。
大事なことは体験なのであって、
ボクの発する言葉ではないよなってことです。
切れ味の良い言葉、それは切れ味の良い刃物や薬とおんなじで、
効果も大きいでしょうが、一方で危険です。
ボクはスタッフに、こうすべき、ああすべきと、
言い続けてきたわけではありません。
マメヒコイズムみたいなものがあるんだと、
口うるさくアルバイトの子達に説教していたスタッフもいましたが
いまはもういません。
なぜなら大事なことは、言葉ではないのです。
なんとなく、そのときその場でとっさに考えた行動、
だけが本質なのです。
だから、理解されないんだって?
いいじゃないですか。
「なんとなくそっち」というのがあって、
「なんとなくそっち」に引っ張られ、新しい体験が始まり、
そうした予期せぬ経験の積み重ねが、
また次の「なんとなくそっち」を引き起こしてる。
それが生きるってことではないですか。
それが許される規模の中でしか、ボクは暮らしたくないし、
「なんとなくこっち」が通じる人間とだけ
「なんとなくこっち」をやりたいのです。
言葉で伝えられないなんて言いつつ、
メルマガを書いているという矛盾をお許しください。