だまし、だまされ

伊丹十三さんのお父さんの伊丹万作さんが「戦争責任者の声」というエッセイを書いてるんだけど、これはすごく考えさせられる。いつの時代もヒトは一緒だよねとボクはいつも言うけど、これにも表れている。

それをちょっと紹介するね。

最近、自由映画人連盟のヒトたちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中に私(伊丹万作)の名前もあると聞きました。詳しいことは知りませんが、それを見たヒト達は私に、あれはホントに君の意見か?と訊いてくるので、ここで私の考えを明らかにしておきたいと思います。実のところ、私にとって戦争責任者が誰なのかということほど、わかりにくい問題はありません。多くのヒトが大東亜戦争で騙されていたと言います。例えば、軍や政府に入ってみれば上から騙されたと言って、さらに上に行ってみるともっと上から騙されたと言うに決まってます。最後にはたった一人の人間が残る計算になりますが、いくら何でも戦争を一人で起こせるはずがありません。即ち、騙しているヒトの数は一般に考えられているよりはるかに多かったに違いないんです。しかもそれは、騙し、騙されの専門家に分かれていたわけじゃなく、一人の人間が誰かに騙されると次の瞬間には別の誰かを騙すことを際限なく繰り返していたのです

ここから読み解くに、今回のコロナのことも全く同じで、マスクの効果を確かめもせず、プロパガンダに押され、してないヒトを奇異な目でみたり、ワクチンを打たないヒトがおかしい、とかね。

普段は食品添加物を気にするお母さんでさえも、自分の体内にワクチンを打つことは何の躊躇いもなしに打っていたり。実はウイルスのことは日々つまびらかになっているけど、それでも尚、私は騙されたんだという形で自分を正当化したりしてませんか?ということを伊丹さんは言ってるんだよ。

何はともあれ、自分の強い意志を持つ、もしくは人間関係を大切にする。そのことが混乱の時代にはとても意義のあることじゃないかと思うのですが皆さんはどうでしょう?

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