暴力から身を守る

ボクは昭和の生まれ。

昭和の頃の暴力のイメージというと、校内暴力、映画の中の暴力シーン。平成になり、暴力はいけないと、暴力自体が街中から消え、さぞかし平和な素晴らしい社会になったかと思いきや、自殺するヒトは一向に減らず、心を病む人が街に溢れかえって、どうなのって?思うんだけどね。

今、ヒトを殴ったり、叩いたりという体罰ではない暴力が蔓延してると思うんだよ。みんな暴力をはき違えてるんじゃないの?って思うことが多々あるね。

ヒトを憎んだり、攻撃したいという気持ちは愛情ホルモンと非常に近しいところがあって、春先のヒグマの母親は非常に狂暴だと言われているけど、何かを守ろうという大義名分、正義があった時、ヒトはとても暴力的になると言われている。暴力は誰か一人の暴れん坊の話ではなくて、不安な心、ヒトを愛する気持ちがあればあるほど暴力は強くなる。

マジョリティー(ボリュームゾーン)のヒト達は、一人ずつはみんないいヒト。でも、集団の中や、匿名、自分の身が安全だと保障されている時に、ヒトは暴力性を増すわけ。MAMEHICOも、このマジョリティーをどう集客するかを考えがちだけど、顔の見えないボリュームゾーンに、より便利、より安心にということを担保するのって際限ないんだよね。マジョリティーのヒトたちはどちらかというと心配性、便利なものが好きという傾向があるとすれば、このヒトたちに訴えるものは便利で安心なものということだよね。

便利だと思っていたものが実は不便、安心だと思っていたものがそうじゃないとなると、途端に牙をむくことがあるよね。

ボクはそういう所から、身を守りたい。ボリュームゾーンに近づかないようにする。

なので、ボリュームゾーンのヒトたちから訳がわからないと不安がられたり、不便をおかけしたりすることは、ある意味暴力から身を守っているんだよね。

やっぱりリーダーというのは暴力から身を守る、自分の仲間にもなるべく暴力から近づかせないというのも、一つの在り方なんじゃないかと思いますが、みなさんはいかがでしょう?

Archive
カテゴリー