ボクの役割について

カフエ マメヒコは2005年の7月1日、
ひょんなことからボクが始めて、
以来、お店は増えたり減ったりを繰り返し、 
今日まで続いています。 

ボクは最初の3年程度は、
日夜お店で珈琲を淹れたり、
洗い物をしたりしてました。

具体的なことばかりにかまけていては店はだめになると、
映画を撮ってみたり、北海道に畑を借りてみたり。
今日までいろいろなことをしています。

お店では、具体的なトラブルが次々と起こります。

珈琲の挽き方が細かすぎる。
黒豆の煮汁が煮詰まっている。
あの子は机が拭けていない。
振込手数料の安い銀行はどこだ。
この電球はLEDかハロゲンか。

などなど。
一行ずつ潰していたら、
あっという間に一生が終わりますね。

紛争も耐えません。
あのヒトがこうやれと言ったからやったのに叱られた。
あのヒトは以前ああ言ったのに、いまは反対のことを言っている。
みんな、モチベーションを失くしています。
みんな、どこに向かっているのか不安がっています。

さて。
基本的にはみんなで話し合いするように促します。
たまにボクも参加して耳を傾けてますが、
ほぼ全てにおいて、議論になってない。

終始、具体的なことについて、
損か得か、好きか嫌いかっていう話になって、
言い争いになっている。

そこでボクがいたら、ひとまず整理します。

「あなたの言っているのはこういうことでしょう?
そちらのあなたの言っているのはこういうことですね。
さて、どうですか。
これとこれ。

あなたのそれは、ご自分の経験を、
さも一般論かのようにはなしているけれど、
ほんとにそれ一般論ですかね。

そしてそちらのあなた。
どこか流行りの本を読みかじった思考を、
さも思いついたように披露してますけど。
ただ単にマウント取りたいだけでしょう。
いかがですか?」

と強く諭します。

年上だろうが、年下だろうが、
女だろうが、男だろうが、構いません。
これはボクが取り仕切る場で起きたことですから、
言いたいことは、はっきりと言わせてもらう。

お恥ずかしい限りですが、これがボクの日常です。
その合間を縫って、自分の仕事や創作をしたりしてます。

さて。スタッフもお客さんも、縁あってここにいるだけで、
そもそも前提の知識や思考、
議論の教育が揃ったメンバーではないのです。
そんなヒトたちが、四六時中、
狭い店内で顔つき合わせてるわけですから、
むしゃくしゃして当然だし、
そもそも深い議論なんか成り立ちようがないんです。

ここでまとめるのが、ボクの役割です。
そのためにボクがいる。

「さて。そもそも君たちはなんのために生きているんですかね。
君たちの生きる目的はなんなんですかね。
君たちはなんのためにここにいて、
何を実現したくてここにいるんですかねか?」

みんな黙っています。
なかには不貞腐れたり、投げやりになったりしてるのもいる。

すると「そんなことは考えたこともない」とひとり答える。
ボクは問い詰める。

「そんなはずはないでしょう。
高いお給料でもない、休みもなくて、
理不尽な変更の連続、不安定な日々。
それなのに君たちは、なぜかここにいようとする。
嫌ならやめればいいじゃないですか。
なぜ、ここにいるんですか」

損か得か、嫌いか好きかっていう具体的な思考から、
哲学や宗教と言った抽象的な思考に転換させるのが目的です。

「なんとなく今日はこのへんで」
という空気になって終わります。

ほんとは、みんなあるんですよ。
誰かの役に立ちたい、喜んでもらいたい、
お金じゃないなにかを信じたい。

子ども時代に抱いた健気な「希望の灯」、
邪悪な大人社会に「希望の灯」を消されまいと生きているんです。
ようやく、やっとみつけた居場所と思ったのに、
実際は、小さなことで躓いてばかり。

抽象と具体、理想と現実のあいだを、
行ったり来たりしながら、小さく続けてきて、
ボクの今日があるのです。

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