分けたがる社会

神戸のお店に花を生けてもらってる「紫水」一谷先生の話を聞いて、ボクとおんなじ考え方だなと思ったんだよね。

フラワーアレンジメントは西洋的な思想で、花を人間が材料としてコントロールして花束を作るという哲学だけど、一方で、花を生けることは自分も自然の一部で人間や花、木、山は一つなんだという哲学もある。一谷先生は、自分は花を生けているのであって、フラワーアレンジメントをしてるのではないとおっしゃっていた。その考え方は東洋思想だよね。

日本人の持っている東洋思想の一つに、天人合一という言葉があって、天と人は一つなんだと。人間は宇宙の一部で自然の一部。これは禅、お茶、お花の世界でもどこかに天人合一という考え方があってみんな繋がっているよねということ。

このラジオで前にも話した、自他不二(じたふに)という言葉があって、自分と他人が一緒であるという考え方。これが東洋思想だとすると、西洋思想はことごとく分けていく。この考え方が今の西洋哲学や経済の考え方になっているよね。

いろんな原因を突き詰めて、分類をして細部に渡ってコントロールしていくということ。そのことによって科学的に何かが解明されたり、いろんなことがわかるけれど、一方で、物事はそんなに単純に分けられない、分けることに意味なんてないんじゃないか、と思うよね。

世の中のことは、どちらかというと分けなきゃいけないから無理くり分けてることが多い気がする。

医療現場にしても、耳鼻科、小児科、婦人科と分かれていて、そのどれかに当てはまるように考えていく。これを突き詰めると、外科は内科のことがわからない、婦人科は眼科のことがわからないということになって、それは専門外のことなのでとなりがち。

どこでもわからない、分類しきれないことがどうしても出てきて、それを分類することこそが叡智、科学であり、そうすればするほどお金になる。もっと細かく分類していくことが社会を良くしていくという風になっているよね。その全てを否定はしないけど、本質ではないという気がするよね。

いろんなものを分けたがる社会に違和感がある。こんなに分類して何かが見えるのかなと、ボクなんかは思いますね。

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