「悟り」について

4月29日の夜、銀座のMAMEHICOで、
エトワール★ヨシノのライブをやります。
(ぜひ来てください)

昨年末に神戸、三宮の月世界という元キャバレーで、
ヨシノは大きなライブをやったんですが、そのときのライブ映像を、
自分で編集しています。
(よかったらYoutubeを見てください)

冷静にパソコンに向かいながら編集するわけですが。
もーね。
あーーー、もーね。
これ堪らなくキツイ時間です。

まず自分で自分の動画を編集するってことが、
どれほど苦痛がご存知でしょうか。

わかりませんか?
では自分が映っている動画を、ずっとご覧になってみてください。
その表情、その声、その仕草。

ね。ボクだっておんなじです。
そんなの嫌に決まってますよ。

パソコンの中のヨシノ。
「おまえってこんな感じで生きてるのか(苦笑)」
悪魔の声が聞こえてきます。

生身の姿もキツイと思うんですけど、さらに化粧してスカート履いて、
大声で歌ってますからねぇ。
あああああああ、キツイ。

ボクはライブの主催者でもあるわけですから、
細部にまで目を配らないといけません。
よく見ると、あれれコーラスがちゃんと歌ってないではないかぁっっ。
カメラワークはグダグダだけどどしたのぉぉぉっ?
音響PAは、あろうことか歌声を収録してなかっただってぇぇぇっ。

ハハハと笑っちゃうくらいガタガタですからね、さらに打ちひしがれます。
「なにもかもオワタ。微塵の価値もない自分など、
いっそいなくなったほうがいいのではないか」
と机に突っ伏してしまいそうになる。

だけど。
それはボクの甘えでしかないのです。
映像の中には、素晴らしいところも当然いっぱい映っていますし、
なによりみんな一生懸命やったんです。
涙を袖で拭いて形にして、どうですかぁぁぁ(笑顔)と発表するんです。

さて。
MAMEHICOでは、ときどき「面白可笑ひこ」
というお楽しみ会をやっています。
演劇や歌を披露する、その出演者たちは、みんな志願した素人です。
お世辞にも上手いなんてことはありません。
けど、志願してきたんです。
人前に出たいと言ったヒトたちです。

なのに、なのにですよ、まったく宣伝したり集客したりしないのです。
「自分みたいなのが出てる演目を宣伝するだなんて、気が引けるから」。

出たいのは出たい、けど宣伝はしたくない、
だってみっともないところを見せたくない、
MAMEHICOと深く関わってると知られたくない。
そういう心持ちなのに、参加はしたがっている。
頭ごなしに根性がない、ダメだというつもりはないですよ。
ボクも先に説明したとおり、そういう気持ちはわかるんです。
わかるからこそ、それではダメだろうと思う。

自分のやってることに対して逃げ腰ではダメ。
それではいつまで経っても同じことの繰り返しだから。
システムに乗っかりたくない、自分らしく生きたい、
面白いことをしたい、って言って行動に移したのなら、
届けてなんぼ、傷ついてなんぼでしょう。

発展途上、まだ理想とする価値まで作り込めてないとしても、
いや志半ばだからこそ、
「こんなボクたちですが、一生懸命やります、お願いします」
の熱意がなくて、ふにゃふにゃやって
扉が開くとでも思ってんのかよと。

冷た過ぎる世間もどうかとはもちろん思いますが、
それでも傷つきたくないからと、逃げまくってどうするんですか。

さてさて。
『南妙法蓮華経』ってありますね。
「蓮華」とは、蓮の花のことです。
その「蓮の種」の話を最後にします。
蓮の種って泥の中で数千年も休眠しているんです。
で、たまたまなんかの理由で硬い殻が傷つき割れて、
種の内部に浸水した時だけ発芽する、っていうのをご存知かしら。
泥の中で発芽し、美しい花を咲かせる蓮の花を、
仏の悟りに例えたヒトって天才だなとボクは思う。

傷ついたそのきっかけひとつで泥の中の種が、あの高貴な花となる。
まさにこれぞ「悟り」なのです。
ボクは蓮の花を咲かせたい、いつもそう思っている。

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