座れと言ったら座れ

MAMEHICOの大切な10のことに「一緒に食べる」というのがあります。

みんなで食事をする場面が多々あるんだけど、このみんなで食事をするというのはなんなのか?というと、栄養を摂取するだけではなくて、同じようなものを一緒に食べて出る周波数、いろんな意思疎通、楽しかったねというような淡い感覚、コニュニケーションする重要な機会なんだよね。

元々ヒトっていうのは違ってて良いわけで、カフェに集まるヒトというのは共通の基礎教育があるヒトばかりではないし、非常にそれぞれの個体が持っている違いというのがあるわけ。でも、一つのことを成し得る為には、どこか基調になる部分は揃っていて、その中で違ってていいわけでしょ?その基軸がズレていたら収拾つかない、みんなで群れている意味ないよね。

時間がない中、みんなでご飯にしよう、座ってと言うんだけど、これがみんな座らないんだよね。

みんな違ってて良いというのがみんなの思想の中にあるもんだから、揃わなくてもいいんじゃない?みたいなことを言うヒトがいるけど、座っていただきますという瞬間は一瞬しかないわけで、準備してるヒトはそこに向かっていて、食べ始めたヒトはごちそうさまに向かって進んでいる。なんとなく食べ始めて、なんとなく終わるという点のない生活というのはチームとしては周波数が揃わなくなるわけ。だから、その瞬間をみんなで確認するというのが必要なんだよ。

世の中は曖昧でいいけど、要所で点を打つのがリーダーの仕事だから、いただきます、ごちそうさまと点を打つわけ。それがいつでもいいとなれば、みんなで一致団結して何かをやるという力は弱まりますよね。これが、みんな理解してない。

自分たちは非力なので、みんなで肩寄せ合って、何か一致団結するというのはとても大事だよね。特に世の中に抗って、自分たちの自由を確保するならね。でも非力なくせに、一致団結することには非協力的。

たかだかいただきますという瞬間でも自己肯定感の低さからなのか、お手伝いしますとか言っていつまでも座らない。

いいですか、座れと言ったら座れ!

Archive
カテゴリー