「文化」について

神戸、福岡、群馬に行った際には、ふと感じた見知らぬ神社にふらっと寄るようにしています。
とにかく名もなき神社が子供の頃から好きなんです。

つい昨日も、古い井戸を祀っている神社に出会いました。
参道の坂道、若葉の梢、うぐいすの鳴き声、苔むした石垣。
なんとも言えない空気に導かれるように鳥居についたんです。

鳥居の前には、文字看板が立っている。
こちらは神功皇后と深いゆかりがあると、書いてある。

なんでも。
神と交感する巫女のような女性として知られる神功皇后が、この地で戦をした。
しかし神功皇后が率いる軍は、夫である仲哀天皇を亡くし、劣勢になっていた。
神功皇后は我が兵士たちの士気を奮い立たせんと、仲哀天皇の形見である鎧を手に取って兵士たちにこう語り始めた。

「いいか、みなのもの。
昨夜、私は夢の中でお告げを受けた。
それによると、この鎧を泉の中に沈め、赤く染まったならば、この戦いは勝てる。
ただし染まらなければ、早々に引き上げなければならないのだと」

そう言うと神功皇后は、亡き夫の鎧を泉に沈めました。
するとどうでしょう。
鎧は赤く染まったではないですか。
皇后も兵士たちも我を忘れて叫び、士気は大いに振るい戦は勝ったのでした。
そんな鎧を染めた井戸のはなし、染井伝説が日本書紀に書かれている、こちらは由緒正しき井戸なんですよ、と看板に書いてあったのでした。

ほんとかよぅ!?証拠でもあんの?

あのね。
ほんとかどうかなんてどうでもインです。
二千年以上という長きときをその伝説に基づいて、この地域はこの井戸は守り、そして今日もまだ、祀られ続けていることがなにを意味するのか。

テレビのCMでは多様性、多様性と言っています。
けれど社会はむしろ画一化に進んでいて、なんだかなとボクは常日頃、思っている。

海外旅行をやめて、47都道府県を歩いてみようとすると、ほんとに日本は広いなと感じる。
47と言っても、明治の廃藩置県の前は300ちかく藩があったわけで、同じ県の中でも、藩の文化って、まだまだ色濃く残っているんですね。
堺と大阪は違うし、弘前と青森も違う、松本と長野も文化が違います。

「文化、ぶんか、分科」。

小さく小さく分けたら、多様な文化が見えてくる。
日本は山間にもたくさんの人が住み「文化」を育んでいたわけです。
山は経済的な価値を生み出さないと、造成されて宅地になったり、太陽光パネルが設置されていたりしますが、神社周辺の環境には「文化≒分科」が見え隠れしているので、ボクは好きなんです。

MAMEHICOではこの夏「場を創る」という新しいコミュニティを創ることにしました。
日本各地の小さな小さな「文化≒分科」は、直接お金を生み出すわけではないけれど、もっと大事にされ、後世にも残せる環境になったらいい。
それには、みんなで、小さな目で地域を識る機会を作りたいと前から思っていたんです。

興味があるヒトは参加して、一緒に「文化≒分科」を考えましょう。

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