自他不二

自他不二

エトワール★ヨシノさんのライブの中で、「背景と主人公」という話をしたんですね。

ヨシノさんは占いというものをあまり好きじゃない。なんでかというと、占いは自分が主人公で自分以外は背景という考え方の元にサジェスチョンされている気がして、すごい違和感があるから。

例えば、自分は生きているわけだけど、何食べてるのって言ったら、毎日、トマトや肉、自然の恵みを食べて生きてるんだよね。自分は自然で出来ている。
自分と背景は一体。自分がいて自然があるんじゃなくて、自分も自然も一緒じゃないかと思うんだよね。

自分がいれば、自分の影響を目の前のヒト達に与えていて、与えたものが写し鏡で自分の所に戻ってくる。これを、化学的平衡って言うんだけどね。自分が全く関係のない背景にぽつんといるのではなくて、自分の温度が、相手に体温を移すし、機嫌も緊張感も、喜びも全部与えるんだと思う。

お互いに常に何かを交換し合っているんだよね。
仏教用語では「自他不二」と言う。自分も他人も別々の二つではないという言葉。
今の世の中の考え方は、みんなそれぞれ独立していて、自分の中でも、いろんな人格を分けているし、会社、家、モードをスイッチングすればいいという考え方でしょ?何故、全部切り分けてしまうのかなと思う。

自ら相手と自分とを切り分けちゃってるのに、寂しいとか、孤独とか、理解してもらえてないとか言うのは、フェアーじゃねーよなと思う。寂しいもへったくれもないんじゃない?自分の身体は自発的に作ったものではなく、何かを食べて維持されているわけなのに、それを自覚してないだけじゃん。自分と周りにある環境は一緒なのだよ。寂しくしているのは、おまえじゃんって、近しいヒトには、ボクはいつも言うけどね。

自分も他人も分かれているものじゃないという考え方なら、あの人と私が別の考えだっていいんじゃないの?

わかるかなぁ…わかるっていうヒトは、わかるって言ってね。

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