そもそも、なぜMAMEHICOを始めたのか?
コロナ前から、こういう場所がとても必要であると、自分なりの確信を持つような事件がいくつかあった。自分個人の事、身内の事があってね。今は、自分の血縁や、地域と結びつきがあるヒトは、案外少ないんじゃないかな。それは個人の問題ではなくて、社会の背景による所が大きいと、ボクは思うんだよね。
何気ないヒト達の、何気ない哀しみについては、語られる事が少ない気がする。
案外そういうヒト達の受け皿って、無いんじゃないかな。
昔、マメヒコで、月5千円払えば何回食べに来てもいいよという「定期券」を発行していた。多くのヒト達は良心的に使ってくれて、お客さんの名前と素性を知るきっかけにもなった。ただ、必要以上に飲食し放題をするヒトが表れたり、かたや、「食べ過ぎているなら、その分お支払いします」というヒトがいたりと、ヒトというものを見たのも、この時。
牧場をみんなで共有して、「自由に牛を連れて来てもいいよ」とすると、みんながそこに牛を連れて来て、草が全部食べられ、荒れ地になっちゃうというのを「コモンズの悲劇」と言うんだけど、それと重ね合わせて考えたりしてね。
日本には、「入会地」という考え方が昔からあって、ある程度知っているヒト達で、その場所を共有して使うのだけれど、顔の知っているヒト達が管理してるからちゃんと保てるわけ。
「カフェ」という入会地であるMAMEHICOを、ボクら、共感のあるヒト達で、自負として管理する事が出来ないかと思っている。
みんなが必要だと思っているのであれば、自分のリスクをとってでも実現させなければいけないと思うし、みんなが出来ないと思っていた事を、創意工夫をして実現する事がボクは出来ると思うので挑戦してるけど、今、これを聴いてるヒトが、それをどう受け止めるか。どう行動に移すかにかかっているかな。
そんな思いで、ボクらは、メンバーシップ制のカフェとしてMAMEHICOを 始めたのであります。