自由を希求する精神

ボク個人で言えばね、コロナに関して、あぁ、こんなにもみんな不自由というものを求めていて、待ち望んでいたというのは意外だったね。

自由を希求する精神というのはとても大事なものだと思うし、自由を望んでるヒトたちを応援したいと思うけど、改革、革命をするヒト達に対してはそこに悦に浸るところがあったり、秩序が欠落していく傾向にあったり、自由を盾に無法地帯になっていくことが多かったりするから、ボクは同調しにくい。
ホントに改革や革命を起こすのであれば、必ず秩序をセットにやっていかなきゃいけないと思うんだよね。

私の友人であるゲーテは、革命をすることに浸って、本質が見えなくなる、秩序が保たれなくなるから、革命や改革は悪なのだということを言ってる。
要はどんなことでもやり過ぎて良いことないということなんだよね。
何かをぶっ壊すということは、ともすると過剰にやらないと壊れない。硬い岩盤であればある程、よほど強く叩いたりしないとぶっ壊れないけど、どんなことでも、ほどほどというのは大事じゃない?
ほどほどは、秩序だと思う。だから、なるべく多くのヒト達と、それもそんなに熱くもならないヒトたちと進めていくのがいいんだと思っている。少数だと過剰になっていくということはあるからね。

ただ、日々積み上げていく中に、無名のヒトたちの思いを持って、自由、自分らしく生きることを大切にして生活の中に落とし込んで続けていれば、それが一つの強い力となっていくと思うわけ。
ボクはこれを水の力と思っている。
水はものすごい力だけど、一見すると強くは見えないよね。

3.11 の津波も、ぬるぬるっときて、いろんなものをゆっくり街ごと飲み込んでいったことがある様に、日々なんとなくみんながこうしたいよねというのを形に継続していくと、それが結果的には強い岩盤になって、規制のなかにある良からぬ慣習を壊す力があるんじゃないかと、私は思います。

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