道常無為、而無不意

今日の話題は、「道は常に無為にして、而も為さざるは無し」という老子のお話の一節です。無為に生きるという教えです。これはボクの中でも大きなテーマです。

どういうことかというと、その言葉通り、道(タオ)、自分の考えている宇宙の真理というものは、常に何をすることはなく、多くのことは宇宙の真理の通りに動いている。ということ。

森羅万象、万物の根源であるタオということだね。

リーダーというのは、働きかけによって売上を上げたり、何かを変えようとしたりするけど、老子によれば、人間の考えることは大したことはないので、本当のリーダーは敢えて、こうであるべきと言わなくても、なんとなく自然の摂理に身を委ねていると組織は自ずと良い方向に変化する。余計なことをせず、作為的にしないで、自然に任せること、自分の存在を知らしめない、存在感だけあればいいんだと。

例えば、MAMEHICOってそういえば井川さんというヒトがいたよね、そういうのがリーダーの理想だよ。と、いうようなことを言ってるんだよね。

今、ボクは「ぽうく」というお芝居の演出をしてるんだけど、なんでこのヒトこんなことわかんないんだろ?ってことが多々あって、砂を噛むことが多い。どうしても作為的になっちゃうんだよね。もっとこうであったらいいのにというのが常にあるわけ。

それをガミガミ言えばいいかというとそうでもない。じゃあ、言わないほうがいいのかと言えばそうでもない。この辺の塩梅は、自分の日々のマインドによることが大きいよね。

こうすればこうなる、ああすればああなるという一辺倒の社会においては、この老子の無為でいるという教えは、ボクにとっては戒めになっています。タオ(道)は自分にとって大事なことで、日々を考える上で大事な言葉となっています。

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