ボクはどうも、こうすればこうなると、
ドヤ顔で話すヒトが苦手です。
売上を上げるためには、特有の「強み」を作ればいんですよとか、
顧客のニーズに合わせて商品を見直せばいいだけですとか、
そういう情報を笑顔で話すヒトを、
心のなかで小馬鹿にしてしまう癖があるんです。
ダメですね。ダメですけど、
申し訳ないけど直せないと思います。
むしろ。
「仕事がうまくいかないときは、
毎朝、玄関の拭き掃除をしてから仕事を始めなさい」
なんて叱られ方をする方が、しっくりくるんです。
これはどうしてか?
ボクが敬愛する荘子の書物に、「混沌(渾沌)」という名前の
帝王?が出てくる話があります。
このはなしがボクは、どうにも好きなので紹介したいと思います。
—
南と北に儵(しゅく)と忽(こつ)という帝王がいた。
その真中に、混沌(こんとん)という帝王がいたんです。
儵と忽は頻繁に混沌に会う。
混沌はそんなふたりを、とても丁寧にもてなした。
二人の帝王は、混沌にとても世話になっているので、
そのお返しをしてあげようと企んだ。
「人間の顔には目、耳、鼻、口という七つの穴があるんです。
しかし混沌様、あなた様はそれが無い。
日頃お世話になっている私どもからのお礼として、
あなた様の顔に、七つの穴を空けて差し上げましょうね」
そういってそれから毎日、
二人は混沌に一つずつ穴を空けていった。
そして七日目の朝、混沌は死んでしまった。
—
といういう話です。
どうです?いい話でしょう?
二人の帝王である儵(しゅく)と忽(こつ)、
この漢字を漢和辞典で調べてみたところ、
たち‐まち【忽・儵】という意味であることがわかりました。
どちらも非常に短い時間を表す漢字です。
南と北の端に、非常に短い時間を示す帝王がいる。
その真中に「混沌」がいる。
これはボクの解釈ですけど、
つまり混沌は「長い時間」のことではないかと思うんです。
短い時間であれば、どんなものでも取り繕うことができます。
写真に撮られる一瞬だけなら笑顔を作ることができますね。
それに対して長い時間が経てば、
古いものと新しいものが入り混じったりして、
ごちゃついてきます。
いわゆる混沌、カオスですね。
一瞬だけを生きてる帝王は、七つの穴から、
良いものを手に入れてると勘違いしている。
素敵な音楽、美味しい食べ物、美しい絵画、、、。
けれど、その穴から、おぞましい毒を
同時に受け入れていることに気づかない。
長い時間を生きる「混沌」は、ある意味遮断して、
そこに美しいもの、美味しいものを味わってもらおうと、
「混沌」にどかどかと穴を開けてしまったら、
この話には深い示唆があると思います。
どこかの国が良かれと思って仕掛けてきた近代戦争は、
この余計なお世話な、混沌に穴を開けるはなしに似ています。
MAMEHICOは混沌なままでいい、
余計なお世話は結構ですと思っています。
どうも新しい時代は、
そういう流れになっている気がしますがどうでしょうか。